やさい日記

複線的人生の創造

相撲の所作の美しさは、生き物の本来の姿勢だった

今週も天正寺さんの早朝座禅会に参加してきました。一週間たつとなんとなくわすれてしまいがちなのですが、まあ忘れるとか覚えているとかではない世界なのだと思います。

 

睡眠3時間くらいだったのがきつかったのですが、座禅することでなにか自分が変われるというか、本当の自分を思い出すというか、そうなっていくんだろうなあと思うと楽しみで、ちゃんと起きていくことが出来ました。

 

5時台前半の電車に乗るのですが、梅田に着くころにはもう車内はいっぱい。仕事などで早くに出られる方も多いんですね。普段乗らない電車の時間帯なのでそんなのも新鮮です。

 

今日も20分くらいを2回座禅をしました。その時間はいろんなことが頭に浮かんできては消えていくのですが、それでもいいようです。無になるとかいいますが、そんなことはできないのでしなくていいとのこと。

 

いま書いていて思ったのですが、無になるというのは、意識を無にするというよりも、人間という自己を無にして、生き物の根本に立ち返って暮らすということなのかもしれません。

 

佐々木住職のお話の要点は簡潔で、生き物の根本に立ち返ること、だけです。今日は相撲のそんきょ、立ち会いでの姿勢のまま、座るという説明もありました。ただそんきょや股わりが出来る力士も、ちゃんこを食べているときはちゃんと座れていないことが多いみたいです。

 

私は現役時代の横綱貴乃花が好きで、相撲の所作が美しいなと思っていました。強いから美しいわけでもなく、美しいから強いわけでもないでしょうが、両方を兼ね備えた力士というのはかっこいいですよね。

 

相撲がなぜその生き物本来の姿勢をもとに所作を形成したのでしょうね。住職は相撲は神への祈りという話をされていました。相撲が作られた古代の人間は、生き物本来の生まれ持った姿勢で立ったり座ったりできたのでしょうか。

 

ちなみに相撲の歴史としては第11代垂仁天皇の時代に野見宿祢当麻蹴速天皇の前で相撲を取ったことが残されています。その取り組みに勝利した野見宿祢が日本の相撲の神として今もまつられています。

 

相撲の立ち会いの姿勢のまま座る、日常を過ごす。いかにも気合に満ちた空気があって、それが本当にできれば日常が変わるだろうなと思います。相撲の立ち会いの姿勢で気力を充満させて筆をもち書をかけることを目指したいです。

 

 

書は姿勢が大事ですね。

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