やさい日記

複線的人生の創造

なぜ歴史検定を受験しようと思ったのか

今年の目標の一つ。歴史検定(日本史)の受験、締め切り期限ぎりぎりに申し込みをしました。一昨年2級に合格。最終目標の1級です。なかなかハードルは高いと思いますが挑戦することにしました。

 

 

 

受験日は来月11月26日(日)で、あと約1か月です。2級受験時に覚えた前提があるので、基本は忘れている事項のチェックがメイン。東進ブックスの「日本史一問一答」を使用して少しずつ学びを進めています。

 

 

 

1級は論述もあるのでその対策も必要でしょうが、まずは知識の定着が必須です。通勤時間や家での時間を活用して、通史で3回ずつはやっていくつもりです。もちろんそれだけでは足りないので、子供たちが高校で使っていた資料集や史料集をもらって、適宜見るようにしています。

 

 

 

さてなぜ歴史検定を受けるのかですが、好きなことは追求していきたいというのが一つ。検定なら追求した一つの結果として目で見えてわかるのがよいかと。実生活に何か活きるのかといわれれば、収入が増えるとかそういうことにはつながらないかもしれません。

 

 

 

しかし今の時代収入につながらないというのは思い込みで、それを活用して収入に代えていくのは自分自身のやり方だと思います。もしこの資格を活用して収入に代えていこうと覚悟するならば、それなりのやり方をして一つずつ進んでいけばいいだけです。

 

 

 

とはいえ今のところ収入につなげていくという考えまでは至っていません。それよりも日本の歴史の流れをしっかりと頭と心に入れておいて、思考や決断の根拠にしたいというのが大きいです。目先の利益や人から言われたからではなく、自分の意志で何かを選び決定していくための根底として、日本史を活用したいと思うのです。

 

 

 

この時偉人はこのように決断した。その時代に覆う大きな流れは何か。その流れが今どのように生きのこり、また発展しているのか。それを大きな目で把握する作業をしておきたいということ。

 

 

 

意志こそが自分自身のゆるぎないアイデンティティです。自分はどこからきてどこへ向かうのかという大きな問いを、日本史という大きな歴史の流れの中に置いてかんがえてみたいのです。どう生きるか、それを仮にでも確定するため、歴史を学びなおすということ。それが歴史検定を私が受験しようとおもう目的です。

 

 

 

だから一問一答がクイズのように答えられるようになるだけでは自分ではよしとしないわけです。でも名前をしる、言葉を知ることからしか、知識へと変換されません。知識へと至る前提として歴史用語、当時名付けられた事柄(例えば「壇ノ浦の戦い」といった固有名詞)を知っておかねばなりません。

 

 

 

知ることからすべてが始まります。知らないとわからない、気づかないことが世の中にはたくさんあります。知るからこそ取捨選択が出来る。そのために人は学んで知っていく必要があるのではないかと思います。

 

 

無駄なことなんてなにもありません。一般社会で無駄と思われがちなことにこそ、原石があると思っています。お習字もそうかもしれませんね。

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