やさい日記

複線的人生の創造

え、明日から自分の土地が国家のもの?大化の改新の奇跡

おおもしろいですね、日本史を学ぶこと。以前に紹介した、いっきにまなびなおす日本史を繰り返しちょこちょこ読みすすめています。

 

 

 

このやさい日記でもその学びの振り返りをしたいと思うのですが、教科書的な説明をしても楽しくない。だからこのいっきに学び直す日本史を読んで、その行間から香り立ってくる隙間を、私なりに推測してお伝えしようと思います。

 

 

 

やっぱり何度も読み返していると、あれ?これってなんでこうなったんだろう?という疑問が出てきます。そこを私なりに考えたいという意図もあります。

 

 

 

さて今日は。

 

 

 

大化の改新です。政治的にいうと蘇我氏が倒れた、という事件ですが、それをきっかけに出来た方針のなかで、公地公民制というものがあります。

 

 

 

要するに土地や民は国家のものになりますよ、ということ。これさらっとかくとふーんで終わるのですが、なかなかすごいことだと思いませんか?

 

 

 

なんかクーデターが起こったと思ったら、はい、あなたのお家は今日から国家のものになります、って言われたらビビりますよね。え、ここのマンション買うのに何千万かかってるんだよ?それを取り上げるの?ってなると思います。

 

 

 

古代コメを作りはじめ、コメをたくさん上手に作った人がコメを蓄え、それが富になり、権力になり、有力者が生まれました。色んな地域の有力者が争ったり協力したりして、4世紀頃にヤマト王権という連合政権ができましたのですね。

 

 

 

その中の最も有力だったのが天皇家で、天皇家を他の有力者が推しいただきリーダーとしてきたわけです。トップに力があるということは安定するということです。会社でもたくさんの株主がそれぞれ同じくらい株を持ってしまうと、緊張があっていいのでしょうがやっぱり不安定ですよね。それと同じかな。

 

 

 

一つにまとまった政権とはいえ、ヤマト政権はそもそもが地域の有力者たちを中心に出来たものなので、その有力者たちを優遇しておかないと(そっぽ向かれると)ややこしいわけです。

 

 

 

だから有力者=豪族は自分の土地を持っていて、自分の民を持っていて、それが当然のこととして認められていたわけです。ヤマト政権がそれを保証していたともいえるでしょう。

 

 

 

ところが急に土地や民はあなた達豪族のものではなくなりました、これからは国家のものです!と宣言されたのが大化の改新です。あ、大化の改新の施策は本当はもっとあとの出来事だったという説がいまは有力です。でも時期がどうであれ、国家のものになったのは事実ですから。

 

 

 

私の疑問はここです。すんなり豪族たちがそれをオッケーしたのだろう?という点です。こういう特権がなくなるというのは激しい抵抗が生まれてもおかしくありません。なぜなんでしょうね。

 

 

 

教科書的には、中国大陸に出来た隋や唐という強い国家によって、日本は侵略されないか、大丈夫か?という不安から、日本も隋や唐のような国家体制を作ろうとしたからというのがその答です。

 

 

 

もう少し詳しく言うと、唐の太宗が高句麗に攻め込むという情報によって、激しく日本は動揺し、天皇を中心にて強く結束する必要があったということです。大化の改新の1年前のことでした。

 

 

 

改新にともなう土地の国有化は豪族から見ればやむにやまれず、なのか、国家側からすればどさくさ紛れなのか、そのあたりはわからないですね。

 

 

 

あるいは聖徳太子以来強まった天皇家の力に誰もたてつくことができなかったということでしょうか。あるいは自分たちの利益はさておいても、国難だからまとまろう!と豪族たちも納得したのかもしれません。そうだったら素晴らしいですよね。

 

 

 

歴史的に見ると大きな混乱もなく、これまで豪族の私有地や私有民は国家のものとなったわけです。

 

 

 

明治維新もこれに似ていますよね。黒船来航の危機から国がまとまったわけです。

 

 

 

その時代の空気って興味深いですよね。結局この土地が国家のものになってから、古墳時代のように自分たちの土地に戻るまで、荘園の発生、武士の台頭などを経る必要性があったということです。歴史の流れは本当に面白いです。

 

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