やさい日記

複線的人生の創造

森と古墳を守っていきたいと改めて思った

南方熊楠は私の好きな偉人の一人です。知の巨人のような人なのですが、私が一番熊楠で印象に残っているエピソードは、鎮守の森を守ろうとした運動です。今でいう自然保護運動みたいなものです。

 

明治の後期に神社合祀令という法律が出来ました。背景としては神社が多く維持管理が難しいため合併するという理由もあったと思います。合併するということは、今ある神社をつぶすということにつながります。

 

神社を中心とした鎮守の森には豊かな生態系があります。そして森には長い固有の文化が残っています。鎮守の森を破壊することは生物の生態系や固有の文化をつぶすことにつながると熊楠は反対をしたわけです。

 

先日夙川の山手に建設中のマンションを見てきました。そこはかつて高塚山と言われた大きな森があったそうです。そこは実は私有地で売却され宅地造成にいたったそうです。地元の人はそこに登り初日の出を拝んだなど、地元では親しまれていた森だったようです。また高塚山には高塚1号墳~3号墳がありました。

 

私は子供のころ近所の森でよく遊びました。その森にも古墳がたくさんあり、私が古墳を好きになるきっかけとなりました。ここも残念なことに宅地造成がされ、私が幼いころ遊んだ古墳群は地下保存という名で消滅してしまいました。私が中学生から高校生くらいのことです。大人になったいま本当に残念だったなと思います。

 

この残念な思いがあるため、森をつぶして宅地造成をするというのには、残念だなと思うのです。高塚山でも地元で保全運動が行われたようですが、許可されたものはどうしようもありません。ただ幸いなのは、高塚1号墳の石室の石の一部が、造成された公園の一角に残ったことでしょう。組み立てずに石だけ残したのはなぜ?とは思うのですが。

 

地権者にもいろんな事情があるでしょう。市が先に購入して保全するという手はなかったのでしょうか。経済の原理原則からするとやむを得ないのもわかります。ただ森や古墳はできる限り残せる社会になればいいなと思うし、私もなるべく身近な森や古墳を残していけるような動きや生き方を今後していきたいなと思います。

 

夙川のマンションは高台なので眺望もよさそうです。時代の流れで森がなくなり、そこに住む人が眺望にいやされ、これから新しい地域文化をつくっていくのでしょうね。