やさい日記

複線的人生の創造

【古墳部活動】物集女車塚古墳は継体天皇を支えた有力豪族が眠っているそうだ

京都の向日市にある物集女車塚古墳に行ってきました。もずめくるまづか、と呼びます。なかなかの難読ですよね。6世紀中ごろの古墳です。

 

きっかけはTwitterでこの時期(5月)に特別公開をしているからという情報を見たからでした。埋葬者は「継体天皇を支えた有力者の一人」というのもひかれたポイント。

 

継体天皇大和朝廷の混乱期に即位した天皇でした。25代武烈天皇に跡継ぎがなく、大伴金村が越前から呼んできた、第15代応神天皇の遠い血縁だったといわれています。ほんまかな?

 

そういうことで継体天皇は政治体制の安定化に苦労をされるわけです。都を転々としてようやく大和に入ることができたようです。その大和に入る途中、淀川の流域をおさえたのでしょうね。当時水運が物資を大量に運ぶ手段でしたから。

 

ちなみに私の書道教室がある川西市にも勝福寺古墳というのがあります。ここも発掘調査の結果から継体天皇とのつながりがあった人物が被葬者として推定されています。そんな縁も感じたので今回行くことにしたのです。

 

東向日駅から徒歩で10分ちょっと。芝生をはった美しく整備されている前方後円墳でした。墳丘部には松の木がはえています。パンフレットによると、終戦後京都駅に帰ってきた兵隊さんがこの松の木を目印にして故郷にかえってきたそうです。

 

学芸員さんが扉をあけてくれます。中は涼しく前日の雨の影響で水が少ししたたっています。遺体を安置する玄室に通じる羨道を少し頭を下げながら歩きます。わくわくします。5月に毎年一般公開するのは、小学生がちょうど社会の授業で古墳時代を勉強するからだそうです。なるほど。

 

羨道から玄室をみます。石棺は大きいです。石棺には兵庫県竜野の龍山石が使われているそうです。へえとその時思ったくらいでしたが、帰って龍山石を検索してみてびっくり。息子の高校野球最後の夏大予選で高砂球場に応援に行ったことがあったのですがが、その時近くに大きな岩肌があったことを覚えていました。それが龍山採石遺跡だったんです。知らなかった。

 

他にも石室内には和歌山の石が使われているなどして、遠方との交流があったことが予想されるから、この古墳の埋葬者はかなりの有力者であったのではないかということがわかるそうです。

 

継体天皇を支えた有力豪族。どんな人だったんでしょうね。きれいに石が積み上げられていた玄室と大きな石棺をながめながら、当時の様子を妄想して楽しんでいました。この当時を妄想するというのが古墳見学の一番の楽しみなんですよね、私には。

 

学芸員さんの説明をたくさん聞き、私も質問をさせてもらいました。もずめ、のように難読地名が向日市にはいろいろあるようです。大極殿というすごい字名もあるとか。やっぱりやまところばの音を勉強したいなと思いました。たぶん物集女という漢字は、倭語の音に漢字を当てただけだとおもうんです。だから物を集めた女性というわけではない。もず・め、なのか、それが何を意味しているのか。もしやまとことばに詳しい方いらっしゃればぜひ教えてほしいと思います。

 

向日市は西日本で一番小さな市らしいですが、古墳だけではなくたくさんの遺跡があるそうです。半日で回れますからぜひお時間のある時に回ってみて下さい!と言われていました。はい、ぜひ行きますよ。

 

当日雨にほとんど降られなくて、無事に見学させてもらえて、本当によかったです。ありがとうございました。本当に楽しかったです。

 

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