先日のやさい日記で神功皇后のことを少し書きました。それ以来神功皇后が頭から離れません。私は神功皇后のように謎めいた強い女性がタイプなのかもしれません。
奈良時代頃から神仏習合と呼ばれる、日本の神さまと仏教が融合する流れが生まれます。神仏習合ってほんとおもしろい。ピコ太郎のPPAPのようにペンとパイナップルをおん!と合体させてペンパイナッポーアポーペンとなるような感じ。少し古いですね、たとえが。
神仏はもともと同じものだった・・・みたいな考え方です。空海の密教がその方向性を目指していた影響もあるのではという感じです。この神仏習合の話を少し。神功皇后のお子である応神天皇が八幡神と結びつき、やがて源氏が八幡神を氏神として祭ったことから八幡信仰が広まります。応神天皇は八幡神となったわけです。そして仏と融合して八幡大菩薩という仏さまもうまれます。
平安時代にこの八幡神を仏教のお坊さんの形にした神像がつくられて拝まれることになります。もともと日本の神様は自然にやどるため像というものをもちません。この神仏習合の流れから、神様にも像がつくられることとなったのです。
神仏習合の流れから平安時代に薬師寺(正確にいうと薬師寺の鎮守である休丘八幡宮、寺のなかにある神社です)に僧形八幡神像が作られました。この神像は八幡神、すなわち応神天皇を像にしたものです。そして応神天皇のお母さまである神功皇后、応神天皇の奥様とともに3つの像が薬師寺に安置されたのです。
説明が長くなりましたが、要するに、私は薬師寺神功皇后像を見に行きたいなと思ったという話。調べてみたところや薬師寺神功皇后像は今は薬師寺にはなく、奈良国立博物館に委託されていて、数年に一度展示されるようです。
前回は去年の大安寺展で展示されていたのにちゃんと見ていないかったんです。残念。もちろんそのときそのときで興味の対象が違いますから仕方ないとは思います。今度いつ展示されるのかなあ・・・。
とりあえず資料集で写真をながめています。神功皇后像のお顔はかなり和風ですね。仏像のようなちょっとエキゾチックな感じはまったくありません。少し吊り目なところが神功皇后の強さを表現しているのかもしれません。
神功皇后像はいませんが薬師寺の東塔も改修工事が終わったことですし、薬師寺に行ってみてもいいかななんて思っています。
ちなみに明治時代には神功皇后札という紙幣も発行されています。こちらのお顔は神功皇后像とは異なりかなり欧風です。これは絶対に似ていないと思う。この神功皇后札についてもまた書いてみようかな。