やさい日記

複線的人生の創造

【読書記録】落日燃ゆ 廣田弘毅の胆力を学ぶ

城山三郎著の「落日燃ゆ」。この本を高校時代に読んだのですが、昭和史に興味を持つきっかけになったと同時に、こんな生き方ってすごいなと衝撃を受けた、思い出深い伝記小説です。

 

 

 

前回吉田松陰に触発されて「誠」という書をかきました。それをきっかけに「誠」の生き方をした偉人に触れて自分も少しでも近づきたいと思うようになり、改めてこの「落日燃ゆ」を読もうと思った次第です。

 

 

 

主人公は昭和初期の元首相、広田弘毅。文官で唯一東京裁判で死刑となった、悲劇の宰相です。私がかねがねこの小説と広田弘毅のどこに惹かれたのか。一言でまとめると、広田の胆力です。自分の生き方の信念に従い堂々としているのです。

 

 

 

特に戦犯として巣鴨に収容されてからの広田の言動は圧巻です。他の戦犯が生に汲々とするなか、首相として責任を取るべきと死を覚悟している広田は、自身が不利になる証言となってもその相手に譲ってあげる。法廷では一切の自己弁護をしないのです。

 

 

 

この胆力はどこから来るのか。どうやって自分を鍛えたらこの境地に行けるのか。広田は若いころから柔道に打ち込み、また寝る前にはかならず論語を読み就寝したそうです。武道で体を鍛え精神も鍛え、論語を心の糧にして、それを実践する。その積み重ねが他の人にはない広田の胆力になったのではないかと想像しました。

 

 

 

広田は書のよくできる人でした。求められると「物来順応」と書いたそうです。物事がやってきたそのままを受け止め応じていく、自然の流れのまま、という意味でしょう。この胆力があるからこそ、やってきたことを正面から受け止めることができるのでしょう。広田の書を実物で見てみたいと思いました。

 

 

 

そして落日燃ゆの再読をきっかけに、論語を買いました。広田のように寝る前に論語を読んで眠ることにしました。論語読みの論語知らずにならないように、実践できるところまで行きたいと思っています。

 

 

 

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吉田松陰に触発されて書いた「誠」

新年の初作品はこちら!「誠」。はがきサイズの100x148mm。吉田松陰の本を読んで触発されました。たった一文字ですが、とても重みのあることば。松陰先生いわく、この誠は最高の一文字。この字をよく味わい、私欲ではなく誠に生きると誓ったときから人生は始まるんだよ、と。

 

 

 

私欲だけで動いてしまうのではなく、本当に大切な道とは何か、なにがまっすぐか、正直か、誠実か。それを松陰はわたしたちに残してくれています。孔子孟子の世界観は戦後すたれてしまったような印象がありますが、いまこそ大切にしたほうがいいのかもしれません。

 

 

 

縄文時代の国家が出来上がる直前の水平的な社会もあこがれますが、弥生から人の道を信じていきていく江戸の武士道まで至るまでの垂直的な構造も学ぶべきところがありますよね。幕末の志士が大切にした武士道的精神を今年もう一度感じてみようと思います。

 

 

 

インスタでこのハガキ作品ほしい方いたら送りますよとあげたところ、数名の方から手があがりました。作品として自分が納得する「誠」を3名の方にお送りすることにしました。お子さんの名前に「誠」が入っているので、とか、父にプレゼントしたいとか。一枚の書でコミュニケーションが生まれるのが書き手として最高の喜びです。

 

 

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1月も半月経ちましたがあけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。1月も半月経ちました。そろそろブログの更新もしていこうと思います。

 

 

 

以前も書いたことあるかもしれませんが、私は人の字が好きなんです。(自分のはあんまりだけど)その人が書いた字は唯一無二で、他の人には絶対にかけないのです。もうその時点でいとおしく思ってしまうので・・・。

 

 

 

とはいえいとおしく思ってしまっているだけでは書道教室としての意義がないわけです。じゃあ私は縁あってきていただいた生徒お一人お一人に、なにを伝えていきたいのでしょうか。

 

 

 

人間は集中しているときにだけ、とてつもない力が発揮されます。この無心になっている状態を日常に持つこと、そしてその時間が本当の豊かさであること。字を書く、書をかくことで、その集中する時間が持てるよ、その時間にこそ本来の自分が発揮できるんですよということを、わたしはおひとりおひとりに伝えていきたいのです。

 

 

 

よく見て、しんけんに書く。シンプルだけど難しく、でもそれがすべてなんだろうと思います。この真剣によく見て、そしてゆっくり書くこと、ひとことでいうと、集中すること。武士の芸事として書がたしなまれたのも、集中することから心が練られ人格の向上につながると考えられていたからでしょう。

 

 

 

生き抜くために仕方なくたくさんの荷物を背負ってしまい、本当の自分ってなんだろうと悩んでいる方がほとんどだと思います。私もそうです。だからこそ、いまここで集中して一つの文字、いや一本の線を引く、そうすると心が練られて本当の自己が発揮できるはずなのです。

 

 

 

筆遣いや技法、もちろん大切です。でもそれは二の次のこと。本来の自分をいまここで発揮するために、よく見て、しんけんに書く。これが書から学べる最大の宝物なんだろうと思います。

 

 

 

おひとりおひとりの日常が豊かになりますように、今年も書道教室でお手伝いをさせていただきたいと思います。おひとりおひとりをていねいに。いっしょに学んでいきましょう。

 

 

 

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学びが消費されている時代の書道人口の減少

ユネスコ無形文化遺産登録に、日本として「書道」が選定されたと報道がありました。書が自分の生活の一部としてある身として、いいきっかけになればと思います。

 

 

 

新聞のなかで軽く驚いたことがありました。年に1回書に触れた人数が、平成22年530万人。それに対し令和2年には220万人と激減しているというのです。ええ、そんなになんだ。それほどまでに書に触れる機会が減っているのかと。

 

 

 

書に対する魅力のアプローチの仕方が時代に左右されてしまっているからだと思うのです。学びというものに対する社会の流れに飲み込まれてしまい、書の本当の魅力が伝わっていないのかも。

 

 

 

学び。学びが単なる「スキル」として消費されているとよく言われますが、まさにそのとおりだなと思うのです。すべて所得をあげることにつながり、所得をあげるために学ぶ。というのが今の流れ。大学進学も就職に有利とか偏差値高いと収入が高いからという理由から進学塾に行くわけです。(まあそれは昭和戦前もエリート家庭はその傾向だったから一概に今は、とは言いきれない)



 

 

 

学びが手段になっている。でも本来学びは所得向上のために使うものではなく、結果として学びが活きるということだと思うのです。その逆転現象に書という学びも飲み込まれてしまっているのではないか。

 

 

 

スキルとしての書は、「書道教室に通う」→「字がきれいになる」→「人からちょっと信頼がたかまる」→「所得があがる」という方程式になると思うのですが、これ、弱いですよね。最終の「所得があがる」に至るにはちょっと無理がある。要するに書をやっても所得があがりづらい、もっと他のことをしたほうが所得アップにつながる。

 

 

 

そうかんがえると、「字がきれいになる」というアプローチを書道がしている限り、所得アップという「お金」優先の価値観のなかに埋没してしまうのだと思うのです。少なくとも書の役割は「字がうまくなる」ではなかったはず。

 

 

 

では学び、教養としての書というアプローチにすればいいのかというと、これもまた大多数には響きにくい。だから入口は「字がうまくなりますよ」というところから入っていき、徐々に教養としての楽しみを伝えていくというステップにならざるをえないのでしょう。

 

 

 

純粋に教養を楽しむ大人(要するに暇人ともいえる)が増えていくのが理想です。これは学校教育や進学塾では担えない。書塾をやっている者が、もっともっと本当の学び、哲学や思想、歴史、芸術を深めながら書をかき、それを楽しんでいる姿をつたえていくことしかないのだと思います。

 

 

 

お金の教育が最近よく言われます。しかし小手先の金融教育ではなく、お金を自分の人生に活用する思想(お金の哲学)をまずは学んでいかないといけない。お金をたくさん増やしましょうではなく、お金をどう活用して自分を伸ばし社会と接していくのか。その思想がないから、学びが単なるスキルとして消費されてしまうのではないでしょうか。

 

 

 

お金を増やすためだけの生き方以外の価値観のなかにこそ、学びの本当の楽しみがあるということ。これを大人は真剣に伝えていく必要があると思います。

 

 

 

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歴史と文化とおかねについて感じたこと

昨日は中国書の歴史講座を受けてきました。その雑談の中で、書が商品として売買されたのは明代だというお話がありました。書を売って生活をする専業書家が現れたのもそのころだと考えられているそうです。逆に言うとそれまでは商品としての価値はなかったとも言えます。

 

 

 

書聖とよばれる、書の歴史の中でのスーパースター王義之は4世紀の東晋時代の政治家です。王義之の書はのちの唐の皇帝・太宗がほれ込みます。特に名作としてひそかに有名であった「蘭亭序」を自分のものにしようと、持ち主のところにスパイを送りすっかり油断させて奪い取ってきたという逸話もあります。

 

 

 

太宗は王義之の書をすべて自分の死とともに墓に収めてしまい、王義之の直筆は現在残っていません。しかし太宗がほれ込み、墓に一緒に埋葬してしまったこと「幻の書」であるからかもしれませんが、その王義之の書の価値がどんどんとあがっていくのです。(もちろん直筆は残っていないにもかかわらず)

 

 

 

太宗のすごいところは、唐の時代の名筆たちに、王義之の書を写し取らせたことでしょう。簡単に言えばトレッシングペーパーで籠字をつくり、その枠のなかを塗っていくという手法。これが現在にも残っているので、王義之の書もどきが存在し、それを空海はじめ現在の私たちもがお稽古として学んでいるのです。

 

 

 

話がそれましたが、書の価値のお話。明代になって商品として売り買いがされたのですが、それよりはるか昔の唐の時代、あるいはそれよりもっと以前から、王義之の書には価値があったわけです。価値を認める人が多かった。しかし金銭的な売買となるには、それまで長い時間がかかったわけです。

 

 

 

お金に変換されない価値、交換することのない価値が、やがて商品としてお金に変換されていくものもあるということですね。おもしろいですね。今の時点で文化や歴史というのはお金に換えることが社会的にあまり認知がされていません。拝観料、入場料というのは歴史や文化のお金への変換ともいえるのでしょうが。

 

 

 

とはいえ歴史や文化がお金に変換されればいいのかというのもまた違う気もします。結局のところ歴史や文化というのは心の豊かさであり、その場にいること感じること自体に「自分が」価値を感じていればよいわけで、お金というものに変換される必要はないのかもしれません。

 

 

 

しかしお金が存在しないとできないことがたくさんあります。歴史的建築物ならお金がないと補修もできないわけです。補修してもお金が生まれるわけではないのが今。これが50年後、100年後、その価値がなんらかの指標で現れる時代がやってくるのか。そういう時代をつくっていくのか、想像すると楽しいなと思います。

 

 

 

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雲雀丘でも開催されていた「南一会」 小林一三らによる池田の画家・樫野南陽支援

小林一三は池田の画家・樫野南陽を支援していました。パトロンと文化の関係に興味があって、逸翁美術館に隣接する池田文庫に行って、いろいろと調べてみました。阪急文化研究年報という雑誌があり、そこに伊井春樹氏が「樫野南陽の南一会始末記」という論説を書かれていました。

 

 

 

南陽画伯を池田の有名人にしてあげ度い」と逸翁が支援をしたのは、逸翁自身が文化的支援を自己に課していて、その勤めを果たすためだったのが動機として考えられます。

 

 

 

その「南一会」第1回は昭和20年4月1日、雲雀丘にある南喜三郎氏(宝塚ホテル創立者の一人)別邸にて行われたのです。会員5名。月会費50円、うち200円が南陽画伯の手取りとなり、残り50円が会の雑費として使用されたようです。そして南陽画伯は全員分の小作品を毎月制作してもってくるという約束でした。

 

 

 

5人のパトロンで分担して南陽の安定収入を支え、その対価として作品を受け取るという交換のやり取り。そして5人が受け取る作品はくじ引きで選んでいたようです。なかなか民主的なのも興味深いですね。

 

 

 

毎月幹事がかわり、幹事邸にて開催。終戦間近ということもあり、大阪空襲など文化を謳歌するには大変な時節だったと思うのですが、定期的に会合を重ねていきます。さらに面白いのは南陽画伯は人間はいいのだけれども野心がなくて傑作がなかなかできない、もっとがんばれ、みたいに逸翁がぼやいているのです。

 

 

 

それでも会の中である作品を入札にして購入者を決めたみたいな記述もあったので、みんながおおおーって作品が出来てきたときは、くじ引きでもらうのではなく、入札形式にしたのでしょう。

 

 

 

途中メンバーの加入や欠席などがあり、また阪急百貨店で個展を開いてもらったりしながら支援が続けれられ、昭和28年11月7日第36回が南一会の最後ということになっています。逸翁は「人間が純真だからその心持ちだけでもよい絵がかけそうに思ふ・・・」と南陽画伯に期待し励まし池田の有名人にと支援してきたのでしょう。

 

 

 

南陽画伯の思いや言葉は特に紹介されていなかったのでわかりませんが、毎月毎月小作品とはいえ5,6作品を持ち込むのは大変だったでしょう。パトロンたちにイマイチな顔をされたり批評されたりするのはなかなか胆力いるでしょうね。

 

 

 

いま、雲雀丘にある安田邸を残して活用していきたいという問いを私は投げかけています。雲雀丘を舞台にこのような文化支援サロンがはぐくまれていた歴史がとても興味深い。安田邸が改修活用できるのであれば、そのような文化的なサロンを復活させるのもおもしろいなと思っています。

 

 

 

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久しぶりなので雑文で勘弁

ブログから遠ざかっておりました。沖縄にいって(一応シゴトで)帰ってきたらインフルエンザになったりでと、まあそんな理由です。

 

 

 

今週で創玄展の締め切りがやってきてしまいました。もっと書けたらよかったなあ・・・という後悔はありますが、いまの実力どおりの作品にはなったのかなと思っています。3月に東京で開催されます。今年の春は見に行ったので、来年もどんな仕上がりになっているのか、行けたらいこうかな。

 

 

 

インフルエンザ。一体どこでもらってきたのか・・・まったく周りにはかかったひとがいません。不思議です。家族はそれぞれ師走忙しく予定も立て込んでいるので、移さないようにしないといけません。平熱に戻って数日経過したのでそろそろ大丈夫か?とは思うのですが・・・移したらさすがに恨まれます、あまりにタイミングが悪い季節です。

 

 

 

沖縄からの帰り便で、あれなんか急に鼻水が垂れてくるな、花粉症か!?と思ったのですが、夕方伊丹に降り立ってその夜にはこれはあかんとなりました。みなさんどこにまず来ます?私は鼻が弱いのか、大抵鼻がおかしくなるところからスタートします。

 

 

 

処方箋をもって調剤薬局にいくと、処方されている一つの薬の在庫がないというので、別の薬局に行ってもない。えーしんどいのに勘弁してよ、と内心思ったのですが、2件目の薬局は、先生に確認して別のにするか削除するかしますね、と。

 

 

 

しかし行った病院もお昼休みにはいっていて電話がつながらなかったみたい。結局薬局の方がその在庫のない薬を削除してくれて解決しました。まあインフルエンザのリレンザは処方してもらったので、あとは別にないならないでいいかという気分でした。

 

 

 

薬の流通も滞ることやっぱりあるんですね。風邪やインフルエンザが流行っているからかなと思いました。とにもかくにもみなさんもご注意ください。では、また。

 

 

 

ちょうど書道教室を開講しない週だったのでよかった・・・

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