やさい日記

複線的人生の創造

いま太宰の『人間失格』を読んでこう感じた

太宰治の『人間失格』。昔に読んだことがありました。その時はへえ、なんか心が複雑で大変そうな人だなあという印象なだけでした。明るい物語のほうが自分には読んでいて楽しいからいいよなあと思っていました。

 

 

 

早朝座禅会で佐々木住職のお話がきっかけで久しぶりに読んでみました。一冊の本は読む自分の状況によって受け取る感情が違うものです。ああ、この主人公は私そのものだ・・・。そのことにこれまで私は気づいてきていなかっただけなんだと痛感しました。

 

 

 

主人公は厳格な家庭に育ち、両親に口ごたえさえもしたことがなく、成績優秀で人気者の少年でした。ただ心の中は人間というものへの恐怖、周りの人だけではなく地元の有力者である実の父に不機嫌になられることが大きな恐怖だった少年。その恐怖を紛らわす、眼をそむける方法として、道化でふざけた自分で周りを笑わすということを習慣化していきます。

 

 

 

これはどんな人間にもあてはまるよなと感じました。自分を守るために、それは自分が生き延びていくために、必要な殻を自分で作ってしまうのです。たまたまこの主人公は道化でした。いい子である殻、優等生である殻、人気者である殻。まわりはそんなつくりものを信じ、そういう人というレッテルを貼るのです。

 

 

 

もちろん世の中素の自分で生きていくのは難しいので、その状況に応じた自分をつくりものとして置いていきます。問題はそのつくりものであることに自分自身すらわからなくなる。偽り過ぎてそれが本当だとわざと思い込んでしまう。ここに人間の複雑さがあるのかなと思います。

 

 

 

偽りの自分を見破る人もいます。主人公は目立たない凡庸なクラスメイトに見破られます。「ワザ、ワザ」とささやかれます。わざとだろ?と。その時の主人公の動揺は想像できますよね。ここで主人公はさらに胡麻化すため、このさして興味もないクラスメイトと友達になって自分に取り込もうとするのです。

 

 

 

偽りに偽りを重ねていく。これもみんな経験のあることではないかと思います。嘘でなくても、誤魔化すことはだれしもあって、それが見破られると上塗りすることでさらにごまかそうとする。よく考えれば恐ろしい話。どんどん本当の自分を失っていきます。

 

 

 

主人公はこののち大人になり、女性や薬物におぼれ、身を崩していきます。その身を崩していく根底にあったのが恐怖であり、恐怖を紛らすつくりものだったのではないかと思うのです。

 

 

 

最後この主人公を知っているバーのママは、おとうさまが悪かったんだと思います、と、主人公がおかしくなってしまった原因をそう語っています。親から受けた不機嫌、恐怖というのが、いかに大きく人格に影響していくのかということに気づかされます。

 

 

 

不機嫌が引き起こす大きな恐怖、それによって一人の人格が破壊されてしまう。私たちはどう生きるか。この湧き上がってくる不機嫌を一人一人が撃退し解消することが、一人の人格をはぐくむことになるのだろうと。

 

 

 

人間失格』は折に触れて読み返すと佐々木住職がお話しされていました。先にも書きましたが読むときの状況で感じ方は変わってきます。そして人間失格は他人の物語ではなくあらゆる人間に共通する闇であり、それに気づくところからまた人間が始まっていくのだろうと思います。

 

 

できればいつわりのない書をかきたいですよね。

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