やさい日記

複線的人生の創造

宋の四大家の書を学んでこなかった理由とは

道教室の生徒の方が米芾の臨書を展覧会に出品したいということで、私自身も米芾の稽古を始めました。書道の先生としては恥ずかしいかもしれませんが、米芾の稽古をしたことがありませんでした。これもいい機会と思い学ばせてもらっています。

 

 

 

書を学んでいるのにこれまで米芾をやってこなかったのは邪道だろうという思いはあります。まあさぼっていたというか、これについては私なりのこだわりがあってのこと。人には話したことはないのですが、あえて書いてみたいと思います。

 

 

 

私の臨書への思いは人物とセットとなっています。書道史に名を遺す字が上手な書家には興味ありません。字がうまいだけ(もちろんその生涯でそれだけのはずはなく、いろんなドラマを抱えて生涯を送ったこととは思いますが)では響かない。とても偉そうに聞こえるかもしれませんが、その点で書の道を突き詰めている現代の書家とは違う視点でいることは間違いないです。

 

 

 

私が書としても最も関心あるのは弘法大師空海(774-835)。平安時代初期、真言宗を開いた平安仏教の巨星です。書はもちろんですが、仏教、文芸、あるいは政治的なところ(いわゆる戦略的なこと)でも空海の異能ぶりはすさまじく、まさに日本史に輝く偉人だと思います。

 

 

 

その空海へのあこがれをもとに、私は書の学びを深めようとしてきました。空海が学んだだろう書を学ぶ。そして空海の書を学ぶ、というやり方です。空海を起点に学べるのは書でもあり、日本史でもあり、生き方でもあるのです。

 

 

 

空海自身が学んだのは東晋の王義之(303-361)。または空海遣唐使西安に行ったときに流行していたであろう、唐の顔真卿(709-785)。ここは空海を知るためには避けて通れないと思い、これまで臨書の稽古をやってきました。そして空海の臨書を時間の限り続けていこうと稽古しています。

 

 

 

米芾(1051-1107)はその空海よりもあとの時代。宋の四大家の一人と称されています。生没年からわかるように空海のあとの時代の人なのです。だから関心がなかった、というのが本音。空海に近づくために臨書の稽古をしているので、眼が向いていなかったのです。

 

 

 

研鑽を積んでこられた書家はたぶんすべての中国の古典を学ばれると思います。それこそ甲骨文字から清・中華民国まで。しかし私の興味はそこにはありません。きっと見たら、ああ美しいなと思うでしょう。もちろん昔はそんな中国の名品を見ることが出来る機会には足をたくさん運んでいました。

 

 

 

しかし今は日本史上の偉人が残した書をみることのほうが何倍も楽しい。どんな書の達人の作品よりも乃木大将や西郷南洲犬養木堂の書の方が好きなのです。それはその人物の生き方、信念、道にあこがれているから。そういう人間に少しでも近づきたいという思いなのです。

 

 

 

これからも自分の書の稽古は空海に少しでも近づくことを起点にやっていくつもりです。でも今回のように機会があるなら、いわゆる中国の古典を学んでいくというのも、拒否をするつもりもありません。その時は縁だと思って、自分も一人の書を学ぶ人間として愉しんでいくことでしょう。

 

 

 

教える、というより、一緒に書の道を学んでいきましょう、というスタンスなのかもしれません。

www.kusunoki-shodo.com