宮崎駿監督の【君たちはどう生きるか】が話題になっています。私も見てきてとても心に響いたのですが、それをきっかけに吉野源三郎【君たちはどう生きるか】の漫画版を読み返しました。
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映画とこの本は全く違うストーリーです。舞台は戦前、本の主人公はコペル君こと本田潤一、中学生です。コペル君という呼び名をつけたのは潤一のおじさん。潤一が人間は分子のあつまりのようだという発想をおじさんに話したことから、おじさんは潤一のことをコペル君と呼ぶようになりました。そしてそれが学校での呼び名にもなったのです。
コペル君は友達との付き合いからたくさんのことを学んでいきます。その中でも最大のエピソードが、友達との約束を裏切ってしまうところです。ガッチンという友達が上級生からにらまれて喧嘩をふっかけられたときには守る!とみんなに宣言したコペル君。しかしいざ上級生が殴り込みに来た時、コペル君は恐怖のあまり知らないふりをしてしまうのです。そんななかガッチンたち仲間は上級生にボコボコにされてしまいます。
この話を読んだとき、自分の小学校時代の苦い思い出がよみがえりました。6年生のときのことです。
学校の休み時間に教室でガムを噛んでいる男子がいました。小学校内ではお菓子やガムなど食べることは厳禁。その子が何人かに「ガム食べる?」と休み時間に配っていたんです。で、私にも「食べる?」と渡してきたので、私も躊躇しながらも「ありがとう」ともらって食べたんです。断って感じ悪くするのがいやだったというのが正直なところでした。
どういうわけかそれが先生の知るところになったようです。数日後先生が「このクラスで休み時間にガムを食べていた者がいる。前にでなさい。」と終礼のときに言われたのです。先生は鬼のような権幕でした。
そのガムを配った本人、そして食べた男子や女子数人がぞろぞろと前に出ました。男子も女子もいました。私も出ないといけない。そう思ったのに、恐怖に勝つことができず、私は席を立つことができません。こわい、立てない、いい子のぼくは先生に怒られなくない。
先生はその出てきた数人をならべ、一人ずつビンタをしていきました。バシッ、バシッ。大人のビンタを小学生が受けるのです。あまりの強さに体を黒板にぶつける子もいました。席に座ってそれを見ていた私にはとても長い時間になりました。どうしよう、どうしよう、と頭のなかは大混乱でその終礼がその後どう終わったのかも覚えていません。
しかし帰り際、さらなる衝撃を私は受けることになります。
「お前もたべとったのに。ずるいわ。」
そうビンタをされた一人が私に言うなり帰っていきました。
私はその子やびんたをされた数人に謝ることすらできませんでした。ただ時が流れて自分のなかでもうなかったことにしようとやりすごしてきただけでした。その子たちはその後何もなかったかのように、私に接しました。無視されたり、いじめられたりということはありませんでした。
中学校になってから、この苦い経験を思い出しては、なるべくずるいことはしない、卑怯なことはしないでおこう、いい子ちゃんにならないでおこうと決めました。そして親になり子供達に伝えたのは「卑怯なことはしてはいけない」「いい子ちゃんになるな」ということでした。
もちろん自分自身が確実に守れたわけではありません。ちっちゃなずるいこと、少しの卑怯なことはしました。うそもありました。それでもこの嫌な経験のおかげで、少しはずるい自分にブレーキがかけられたかと思います。
そして今、この話を再び読んで、思い出したということは、これからの日常でずるいことするな、卑怯なことするな、いい子ちゃんになるなよというメッセージなのかもしれませんね。
そんな私がやっている書道教室です。
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