やさい日記

複線的人生の創造

あなたは何のために書をやっているのですか?

価値ある建築物の活用を語る会と題して、建築や左官、材木を生業にしている仲間といろいろと語り合ってきました。

 

 

 

表面的、具体的な話というよりも、根底というか哲学っぽいというかそういう話でクールにでもハートは熱く盛り上がりました。生業は違えども根底にある思いがそれぞれに見え隠れしていた空気が心地よかったのだと思っています。

 

 

 

昨日印象に残った一つは人間を高めるということがあまり語られなくなっている今という話でした。左官の方がお弟子さんには技術を高めることも大事だけど、人としてどうあるかのほうが大事という話をされていると聞いて、私も膝を打ちました。

 

 

 

書の世界でも技術だったり芸術だったりという流れが主流。書は人なりと語られなくなってきている印象があります。書は修養であり自分を磨く手段であったはずです。戦後や高度経済成長の影響なのか、師も弟子もそんなことを求めなくなってきたのでしょう。

 

 

 

そもそも師と弟子という概念すら薄くなってきています。先生と生徒という位置づけですね。もちろん生徒側も書は生活ではなくあくまで趣味であり、先生側も生徒の人生を預かっているほどのおおきな責任をもっていないということもあるでしょう。しかし一番考えられる理由は、書がビジネス(おかね)に置き換えらざるを得なくなった結果なんだろうなと思います。

 

 

 

以前も書きましたが、先生側は生徒(顧客)獲得のために、わかりやすいメリット、「字がうまくなるといいことありますよ」という誘い文句になってしまう。生徒側は技術、「字がうまくなる」「いい字がかける」ことのメリットにしか目がいかなくなり、求めることは技術(スキル)のみになってしまう。。需要と供給が上っ面で成り立ってしまっているのが現状ではないかと思います。

 

 

 

改めて私の思いは、スキルなんてどうでもいい、人間を高めること。そのために書をやりましょうというのが本音です。うまくなろうなんていうこと自体意味がない。激しいことばを使うなら、うまくなろうって思い自体がろくでもない。と自分を戒めています。人として大切なことを実践していくために書の稽古時間や人とのかかわりを糧にする。そこを真の目標にしたいと私は思っています。

 

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