教室の生徒(大人の方)が創玄書道展へ出品されます。私の教室では初めてのこと。創玄書道展はいわゆる全国コンクールの一つのようなもの。まずは二科からスタートするのですが、サイズも大きく(約45センチ×145センチ)題材も書の古典からの臨書と決まっています。
生徒が書きたいと選ばれたのは、米芾の「蜀素帖」から。以前も書きましたが、私は米芾をちゃんと学んだことがなかったため、私にとっても勉強の機会です。お手本を書くために私も鍛錬です。
大きなサイズにかけるようになるために、まずは小さい紙で練習。半切の三分の一サイズで臨書を繰り返しました。書くだけではなく、目で習うことも大事。暇をみつけて蜀素帖を眺めるようにしました。
1ヶ月くらい私なりに米芾に向き合ってきました。昨日私が習っている先生からアドバイスをもらいながら書きすすめ、一番いいものをお渡しするお手本に選びました。自分ではもっと書けないとと思いながら悔しさはあるのですが、そろそろ時間的にもお渡しする必要があるため、昨日書いたもので決定しました。
「本当にお手本を書くというのは大変なこと。自分の作品なら自分で完結するけど、お手本を渡すというのはそういうわけにはいかないからね。」
そんな重い言葉をいただきかみしめました。責任という言葉が正しいのかどうかわかりませんが、生徒の方が学び成長するための材料でないといけません。私の渡したものが粗悪であれば、その粗悪をマネしてしまう危険性があります。
私の所属する書道会では「練成会」があります。出品予定者が集って、たくさん先生方も来られて指導をうけながら、各自作品制作をするというのが練成会。ここでベテランの先生方の指導を受けたり、実際に書いてもらったりして、私の手本を超えるくらいのいい作品になるよう頑張ってほしいなと思います。
それにしても先生のことばじゃないですが、お手本を書くって半端ないプレッシャーだなあと改めて思いました。字の上手下手だけではないし、何かも透けて見えるような気がして気が引き締まりました。
日々精進ですね。
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書道教室を通じて私自身が成長させてもらっています。
一緒に書の道を歩いてみたいという方は、ぜひ一緒に学んでいきましょう。