(私の書道教室は川西と豊中にあります。どちらも古墳がある地域。猪名川流域に古墳時代にちょっとした勢力があった場所です。
この猪名川流域の古墳が私の興味の対象なのですが、まだ行ったことのない古墳もあります。それが池田の池田茶臼山古墳、娯三堂古墳です。
はじまりの杜での書道教室が終わったあと、天気もよかったので行ってみることにしました。阪急池田駅から逸翁美術館や小林一三記念館をとおり、五月山のほうにあがっていきます。約20分。途中上着を脱いで半そでになるくらいの陽気。きれいに整備された公園になっていました。
いつも思うのですが、古墳をちゃんと保存し整備してくれることの、ありがたさや。先人の労苦がしのばれます。そもそも古墳は宅地造成など事業者からすると厄介者でもあるのが現実だと思います。
その中で地域の人たちが守ろうと働きかけたり、その造成業者が日本の歴史や文化に理解があったり、そのうえで保存、さらに整備に予算を取ってもらえるものです。そこに至るまでは大変な道のりだろうな・・・うまくいかなくて壊されたり、地下保存という名の消滅した古墳がいたるところにあるはずです。
この池田茶臼山古墳は保存運動の結果、URが保存してくれたようです。本当にありがとうございます。風が強かったのですがそれが暑さを和らげてくれて快適に墳丘に上り景色を楽しみました。時間を忘れるほど快適な眺めでした。
池田茶臼山古墳は4世紀半ばの古墳です。古墳時代前期です。猪名川流域では長尾山古墳(宝塚)と同時期。この時期の猪名川流域は長尾山(宝塚市)、五月山(池田市)、待兼山(豊中市)に同規模程度の勢力があったと考えられています。
この池田茶臼山古墳は10代崇神天皇から12代景行天皇くらいの時代でしょうか。前方後円墳をつくることができるということは、ヤマトの大王家とのなんらかのつながりはあったのではないかと推測できます。想像するとわくわくします。
と書いてからウィキペディアを見てみると、メスリ山古墳と相似形だそうです。メスリ山古墳はまさにヤマト王権誕生の地である大和古墳群に位置しています。ここから考えても大王家との関連はありそうですね
これはメスリ山古墳にも行ってみないといけないですね。メスリ山古墳は陵墓参考地ではないので今も登れるみたいです。ぜひ古墳部の事業として行ってみたいと思います。
池田茶臼山古墳のあと娯三堂古墳に行ってきたのですが、長くなってきたので続きはまた明日!古墳部でした!