日本人がコメをつくりはじめたとき、とてもうれしかったでしょうね。それまでは獲物が取れれば食える、取れなければ食えない。生きるか飢えるか先がまったく見通せないわけです。コメがやってきて、ああ、これで安心して食べていけると喜んだでしょう。
例えばイノシシの肉とコメを比較して考えてみます。何人かでイノシシを捕まえたとしたら、そのイノシシを裁いて食べますよね。その肉ってすぐに腐ってしまいます。となると、「おーい、みんな寄っといで。食べよ、食べよ。」と声をかけます。
族長はそうやって取ってきた獲物をみんなに分けます。そうしないと腐ってもったいない。族長は分け与えられる人だったわけです。
コメの場合保存できちゃいますよね。しばらく置いていても腐らない。となると族長もみんなで分ける必要がなくなってきます。腐らないから。だからコメ作りを始めた後の族長は、コメを所有してしまったんだと思います。「このコメはおれのもんだ」というわけです。
このコメ以前の族長とコメ以後の族長は、その性質が180度変わってしまったんだと思います。
もちろんコメをつくる族長はコメ作りの能力があったのでしょう。みんなをまとめて、役割分担させて、力を合わせることが出来るリーダーシップのある人。だから優秀な族長のいうことを聞いて作業していると、ちゃんとコメが取れるわけです。飢えない。だからついていく。
族長は優秀で賢いのです。みんなを指導して田んぼをふやしていけば、ますますコメがとれて、族長のコメが増えていきます。そのコメの一部を部族内に分け与える。一部というのがポイントです。食べきれないから。食べきれないくらい余るから。あまりは族長が保管保存するということになります。
これが富の発生。これでコメを蓄え、管理した族長が、どんどんコメを増やし、コメの力で田んぼをさらに切り開き、作業したメンバーを食べさせる。作業したメンバーは食べられたらいいので、食べられる分だけをもらう。ここで貧富の差が出てくるのだと思います。
これってお金をたくさんもっている資本家(=株主≒社長の場合もありますよね)が食べられるだけのお金を社員にわけて労働させて、ますます資本家は資本を増やしていくという、現代の資本主義の構造と変わらないわけです。
冒頭に書いたよう、コメのおかげで飢えなくなって族長もメンバーも喜んだ一方で、貧富の差が生まれてしまう未来がやってきたわけです。奈良時代まで来るともう納税のつらさに耐えきれず田んぼを捨てて逃げる人たちもいたわけで。
このコメをたくさんもった族長はそれを有効活用することで、より耕作面積が広がり(投資ですね)、技術を導入し、文化を広めたのも事実。コメの力がなければ日本は大きく発展をしなかったのです。発展をしたのはコメを有効活用したからともいえるわけです。そうおもうとやはりありがたいなあと思うわけです。
物事には二面性があってどちらがいい悪いではないというのを、このコメからも考えられますね。そして稲作が広まったことは本当に大きな静かなる革命だったんだろうなと思います。
日本史を考えるとコメは避けて通れません。またいろいろとコメについては書いていこうと思います。