やさい日記

複線的人生の創造

屋久杉の力が明治維新につながった!?

年内に仕事で沖縄に行く予定があります。琉球王国沖縄戦の歴史を知って沖縄に行きたいと思い、沖縄の歴史に関する本を読んでいます。

 

 

一冊目は「琉球の風」。1993年のNHK大河ドラマです。主役は今話題の(?)東山紀之氏。私はみたことはないのですが、その原作本である陳舜臣氏の小説です。二冊目は「日本人として知っておきたい琉球・沖縄史」。PHP新書で古代から現代までをコンパクトにまとめた本です。

 

 

 

 

 

 

 

その「琉球・沖縄史」のなかで、興味のある記述がありました。鹿児島藩琉球を支配した必要条件は木材だった、とあったのです。私の中で木はDNAに組み込まれている近しい素材。その鹿児島藩が目を付けた木材、屋久島産の杉のことです。

 

 

 

安土桃山~江戸初期、島津氏が屋久島を支配するころにはすでに良性で耐久性に富む屋久杉は経済価値も高いとして目をつけていたそうです。1609年に鹿児島藩琉球に兵を送り、琉球王尚寧を捕え、琉球を征服しました。藩財政の悪化から琉球貿易の利権に目をつけたため琉球を取りにいったともいわれています。なんとまあ・・・。

 

 

 

1612年には屋久島を鹿児島藩の直轄地とします。屋久島の豊富な山林資源を独占的に鹿児島藩が扱うことになりました。いわゆる専売制を開始したのです。鹿児島には「屋久島蔵」と呼ばれる蔵があり、そこには屋久杉の平板が保管されていました。

 

 

 

屋久杉は神の木とも呼ばれていたようです。しかし屋久聖人と呼ばれた泊如竹は屋久島の窮乏を打開するため、鹿児島藩に年貢を屋久杉の平板での納付を献策し実現させます。そのかいもあり屋久杉は瀬戸内、上方へとどんどん出荷され、鹿児島藩の財政は屋久杉で潤います。ちなみに江戸時代首里城が消失したときにも、再築に屋久杉が使用されたようです。

 

 

 

屋久杉は鹿児島藩琉球支配の道具となったのち、明治、大正、昭和、戦後の伐採と続き銘木として人気を博しました。大量伐採の時期を経て、保護の時代に入ります。自然伐採は終わり、屋久杉が山から搬出されることはなくなりました。

 

 

 

数年前屋久島に縄文杉を見に行ったことがあります。早朝から歩き続けて、ようやく山奥にその巨大な縄文杉を見た時には本当に目を奪われました。自然なのにまるでつくりもののようで。それでもまぎれもない自然だったことに驚きました。

 

 

 

屋久杉の専売制の歴史を知ると複雑な感情が沸きあがります。種子島氏による支配から島津氏へ。そしてその島津氏による琉球侵攻。結果として屋久杉で藩財政を潤おうことができた島津氏は明治維新の原動力となるという・・・。屋久島や琉球のおかげで明治の時代が始まったともいえるわけですね。

 

 

縄文杉のような自然の力に満ちた字が書けることを目指して・・・

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