くすのき書道教室ー兵庫県川西市ー

墨の香りx木の香り/ひとりひとりを丁寧に、少人数の書道教室

朱を入れるということ

雨が続いています。前回の教室も雨がしとしと降っていました。会場のはじまりの杜は少し葉っぱが色づいていました。


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皆さんが子供の時に書道習っていたら、赤の墨液で修正をしてもらったことがあると思います。

 

でも、直されることがイヤなことってなかったですか?ちらほらとそういう声を聞いたことがありますし、わかるような気がします。

 

私は、特に小さいお子さんの場合、朱を入れることを極力しないようにしています。せっかく書いたモノを直されてつまらなくなってしまうのはもったいないなぁという思いから。

 

書いたものに朱をいれて添削をしない代わりに、口で説明をするのですが、ちゃんと理解をしてくれて直そうとしてくれます。(ありがたいことです!)

 
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また、よく書けた作品は、赤丸や二重丸をいれることなく、きれいに折りたたんでクリアファイルに入れてもってかえってもらっています。できればおうちの方に見せてほしいし、少しの間でもいいのでおうちに飾ってもらえたらいいですよね。

 

もちろん花丸や赤丸がたくさんつけることでうれしく励みになるということはその通りだと思います。しかし他人(先生)から評価されることで自信をつけるっていうのはどうなんだろうって。

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私もそうですが人は日常生活は他人の評価の中で生きているといっても過言ではないでしょう。しかしそれに振り回されていると自分自身を見失ってしまうような気がします。本当は他人の評価なんて気にしなくていいはずなんだよなあ・・・。

 

だから、自分が丁寧に心を込めて書いたということ自体が、いい悪いの評価よりも大事なんだよって何とか伝えたい・・・。それはすごく難しいことなんですけどね。

 
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ホメる、そしてうれしくなる、自信がつく。その構図は間違っていないとは思うのですが、自分を信じるという本当の意味での「自信」をつけるには、また違うアプローチってあるんじゃないかな。

 

「ここはすごくいいね!」と瞬間的に口をついて出てくることがあります。キラリと光る1本の線やバランス、やっぱりあるんですよね。そのキラリだけは見逃さないで本人に伝えたいなあ・・・。

 

そして、機嫌を取るために思ってもいないことは絶対に言わない。それは大人に対しても、子どもに対してであっても、書の道を歩む「仲間」に対する礼儀だと思っています!

 

空をみあげてきました!

 

 

 

 

 

 

 

木の香りと墨の香り、自然につつまれて書を学ぶ

とにかく、静かなのです。書道教室にお借りしています、はじまりの杜。

 

土曜日はしとしと雨がずっと降っていました。

 

「本当にここは静かですよね、だから雨の音が響くんでしょうね。」と、生徒さんがおっしゃいました。

 

はじまりの杜は地元の兵庫県の杉をふんだんに使って建てられています。


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入ると杉のいい香りが気分を穏やかにしてくれます。香りは心に届きますよね。

 

オーナーさんの奥さんが教室に顔を出されました。

 

「うわぁ、墨のいい香りがしますね~」

 

私は杉の香りはするのですが、墨の香りって実はあまりしないのです。というか多分慣れていて鼻が効かなくなっているんでしょうね。

 


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そんなことを伝えますと、

 

「そうなのよ、私も木の香りって気がつかなくて。それと同じよね。」

 

木の香りと墨の香りが多分ごちゃ混ぜになっています。来ていただいた皆さんにはどんな香りが記憶に残るのでしょうか?

 

小学校1年生の生徒さんに絵を描いてもらいました。濃墨に水を足すと薄くなり、にじみが出て、面白い表情になります。そんな体験をしてもらいました。

 

いつも書いてもらった作品を持ち帰ってもらうのですが、なかなか乾かないのです。帰る時間になっても乾かないので、乾かして来週持って帰ることにしました。

 

十分乾く時間があったのになぁ、なんでかな?と考えていると、はっと気づきました。

 

木は呼吸をしています。外は雨が降っています。自然の湿気の中で、自然の材料で作られた紙と墨が、ゆっくりと乾いていっているのです。マンションの中にいるのとは違うのだと身をもって感じました。


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墨もしっとりと紙に入っていきます。

 

木の香りと自然に囲まれた教室に墨が溶け込んでいきます。なんとも言えない、非日常を私自身が感じることができて楽しいな。そんな気分でお稽古を終わりました。

 

次回は14日(土)9時半~12時半まで開講しています。少人数制ですがまだ体験など可能ですよ。

 

ちなみによく質問があるのですが、筆ペンのお稽古も可能です。やりたいことあればなんでも遠慮なくお伝えください。

 

 

 

星をかいていこう

家の中で黙々と書の稽古をしていると、私のなかの「魯山人」がこうささやきます。『宇宙に字を書け、砂上に字を習え』と。

 

 

(私は北大路魯山人が好きで折に触れては魯山人の書を眺めたりしています。このことはまたブログのネタにする日が来るでしょう)

 

『ああ、いかんいかん、籠ってばかりいては。空を見上げよう、星を見よう、月を見よう』と思い返すのです。

 

先日グランフロントのユニクロに行きました。ユニクロの中に蔦屋書店のPRなのか、本が並べてありました。何気なく目に入ってきた本がありました。おおっ、これはおもしろそうだ!と思いさっそく他の書店で購入しました。

 

 

星のエッセイと星にまつわる山口誓子氏の俳句をまとめた本でした。書かれたの昭和29年なので言葉遣いが少しわかりにくかったのですが、天文学の知識がなくても読めるのでとても楽しめました。

 

このエッセイを書かれた野尻抱影氏は冥王星の名付け親でもあり、生涯を通して星のロマンと魅力を語られた方で、「星の抱影」と呼ばれていたそうです。ネットによるとしょこたんの遠い親戚(?)にあたるらしいですね。

 

そうだ、私は星をみるのは好きだったんだ。って思い返してくれる一冊でした。

 

星がすきなら星にまつわる書もかこう。『星戀』にある山口誓子の星の俳句を自分なりに表現してみようと思っています。

 

書は自分の世界観を表現するものです。書は芸術なので『字面のいい言葉』を選んでしまいがちになるのですが、かく言葉に対する思いやこだわり、要するに書く人に世界観があったほうがいいのは間違いない。

 

私は木であったり、星であったり、自分の好きな自然に関連したことばを書きたいし、それが自分の世界観の表現につながるんじゃないかなって。私が書く木や星の書をみてくれた人が共感してくれるというのが、書を通じた最高のコミュニケーションだと思うのです。書に興味をもってくれなくても、木や星に興味をもってくれる、それでもいいんです。そういう書をつくっていきたい。

 

何をするにせよ、自分の軸があるほうがいい。私の書の軸は木であり星であったらいいなと。

 

さあ宇宙に字をかこう。空をみあげよう。

 

今日は中秋の名月、ですね。

 

 

親鸞弟子一人も持たず候。

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日本語って言葉の裏側に微妙なニュアンスが含まれていて面白いですよね。使う人の感情が透けて見えたりするわけで。

 

書道界ではこの「師匠」「弟子」という表現がよくつかわれます。「師匠はどなたですか?」「私の師匠は〇〇先生です」「△△さんは〇〇先生のお弟子さんだって」とか。

 

師匠の家に住み込みをして、家や教室の雑巾がけをしてカバン持ちをする。そうやって書を学ぶとともに師匠の背中を見て生き様を学ぶ弟子。

 

これが私がイメージする「師匠」と「弟子」。

 

今の書道界でも住み込みでカバン持ちしてとかあるんでしょうかね~?それを乗り越えられて書家として活躍されている方には尊敬します。いやまじで。私はムリだな~。たぶん1日にで逃げ出します。

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私も書を教えていただいた先生がいらっしゃいます。現在も教えていただいています。でも『住み込みでカバン持ちしていないし、週1回程度教えてもらっているだけなのに、先生を『師匠』って表現するのはおこがましいよなあ~』って思うんですよね。

 

それと同時に『いやあ、私は弟子なんて自分を呼べるほどのもんでもないしな~』なんていうことも思うのです。

 

師匠や弟子という言葉を使うときって、『私は高名な〇〇先生に師事をした、正統な△△という弟子である!』っていう気持ちがにじみ出ちゃう気がして、私には恥ずかしくてムリ!

 

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親鸞の言葉をまとめた「歎異抄」。司馬遼太郎は兵役中にポケットにしのばせて読んでいたそうです。

 

 

その中で親鸞はこんなことを話しています。

 

親鸞弟子一人も持たず候

 

親鸞の思想からすると、親鸞であれ誰であれすべての人間にとってアミダさんのみがお師匠さんであり、すべての人間がアミダさんの弟子なのです。だから親鸞には弟子がいない、ということになるわけです。

 

この一言をとっても親鸞のすごさが分かりますよね、実際はとほうもない多くの坊さんに取り囲まれていたでしょうに。

 

アドラーも、幸せになるためには人間は上下関係ではなく横のつながりが大切だよって言っていたように覚えています。

 

 

私の教室に来ていただく皆さん、これから来ていただく皆さんも、私と同じく「書」というそのだだっぴろい大地によちよち歩いていくわけです。その書というワールドをより楽しめるように、その人のペースに合わせて、私は一緒に手をひいていくのみ・・です。(実際に手をつないでやるわけではないですよ、念のため)

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要するに堅苦しくなく、一緒にみなさん書道を学びませんか・・・というお誘いです。

 

ずばりいうと、今日は単なる宣伝!みなさん、よろしく!!

 

kusushodo.hatenablog.com

 

いちじくのおいしい季節~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余っている筆をお譲りください!

おうちで眠っている筆を譲ってください!

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学校の書写の授業で使っていた筆、おうちに余っていませんか?

 

小学校で書写の授業が終わったら書道バッグ(習字セット)の中で筆が眠っていると思います。要らなくなって捨てる前に譲ってください!

 

どんな状態でも構いません。墨でかちかちになっていても、いただければ丁寧に洗って使える状態にしてから、教室やワークショップで使用したいと思います。

 

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職人さんが精魂込めて作った筆が、まだ使える筆が、捨てられるのは忍びないなと思うのです。筆がもう一度活躍する場を私が作れたらいいなあ・・・という気持ちからこの企画を考えました。(自己満足だけどね~)

 

モノを譲り合って大切にしたりっシェアをしたりって今当たり前になりつつありますよね。ヤフオクで掘り出し物の書道具がよく出ていてたくさん入札があったりします。書道具もまだ使えるものがあれば、使いたい人に渡ってお互い気持ちよくモノが移動しあえうのが理想的だなと思います。

 

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筆をお譲りいただいたら、お礼と言っては何ですが・・・ポストカードにお好きな漢字や言葉を書いてお渡ししたいと思います。

 

筆を受け取り、ポストカードをお渡しする・・・書という自分の好きなことで、あたらしいコミュニケーショが生まれたらおもしろいなって。どんな展開があるのかなって想像するとちょっと楽しみなんです。まだまだ使える筆を再び使っていきたいっていう思いと、お古の筆が生みだすコミュニケーションが楽しみでこんな企画を考えてみたのです。

 

日本の職人さんが丁寧に作った筆を大事にする精神に賛成!で、協力してやってもいいかな~って思われたみなさん!

 

使わなくなったお子さんの書道バッグから筆を探してもらって私まで連絡をいただければとてもうれしいです!!

 

メール⇒ y.kusunk@gmail.com

 

教室終了後には広々と一人で練習したりして

 

 

 

 

平成29年10月の教室日程

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こんにちは。

平成29年10月の教室日程は以下のとおりです。

 

【平成29年10月】※第1、2、4土曜日

7日(土)9:30~12:30

14日(土)9:30~12:30

28日(土)9:30~12:30

 

10月は第3土曜日を休講とします。

お間違えないようにお願いいたします。

 

各日ワンコイン体験は可能です。

上記リンクをご一読の上お手続きをお願いします。

 

 

 

 

第51回未踏サークル展 出品作品 「翌檜」

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アスナロの木。

 

木材としてはヒバという名前で知られています。腐りにくいからまな板などに使われたりもするようですね。

 

井上靖の「あすなろ物語」にこのアスナロの木が登場します。

 

 

あすなろ物語」は神童と呼ばれた鮎太の子供時代から新聞記者になった大人までの半生を描いた井上靖の自伝的小説と言われています。

 

この「あすなろ物語」に出てくる女性が絶妙な色気があるんですよ。昔読んだ時は『うわ、こんなオンナええわ、ええわ~』って印象が強くてほとんど話の筋なんか覚えてなかったんですが。

 

改めて読み返してみました。

 

鮎太が13歳の時に一緒に住むことになった19歳の冴子という遠縁の女性が最高に色っぽいんですよ。周りの評判も気にせずちょっとわがままで気の強そうな冴子は恋人の大学生と心中をするのです。

 

その心中をにおわせるシーンが出てくるのですが、これがまたドキッとするんです。

 

「トオイ、トオイ山ノオクデ、フカイ、フカイ雪ニウズモレテ、ツメタイ、ツメタイ雪ニツツマレテ、ネムッテシマウノ、イツカ」

 

鮎太が寝ているところに滑り込んできてこんなこと耳打ちするんですよ!

僕は鮎太になりたい!

こんなシチュエーション妖艶すぎて悶えそうです。

 

とまあそんな話を書くつもりではなくて。

 

冴子はアスナロの木をみあげて鮎太にこんな話をするのです。 

 

「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ 」

 

何者かになろうとあがいて結局は何者かになれない人間・・・それが翌檜に例えられています。鮎太も神童と呼ばれるくらいの少年でしたが、大人になれば普通の人間として描かれています。

 

あすは檜になろうとすることから、アスナロは「翌檜」という漢字があてられます。この当て字も絶妙で、日本語の豊かさを感じられますよね。

 

私もそうなんですが、周りの人と勝手に競争とかしちゃいますよね。「俺だって檜(一流)になってやる!!」みたいに意気込んで上だの下だの感じて優越感に浸ったり、劣等感にさいなまれたり。そんな葛藤も経験して初めて「ああ、自分は檜にはなれないよな」って気づかされるんですよね。

 

人との能力の優劣なんて超越して普通に生きる勇気が持てたらいいなと。そんな普通の翌檜でも毎日生きているんだよな~なんて思えたらそれで幸せだな。そんな思いを書にこめて作品を作りました。

 

9月上旬に尼崎で行われた「未踏サークル展」では、この「翌檜」を出品しました。私は1年に1度ちゃんとした作品を残そうと思い、この展覧会にその年その時の思いを込めた作品を作るようにしています。(ちなみに昨年は方丈記の「行く川の流れは絶えずして・・・」でした。)

 

「殻を破る」というテーマだったので、初めて淡墨に挑戦しました。「鈴鹿」という墨を濃く磨った後、水で薄めて、「古玄」というにじまない墨を磨って混ぜています。この「古玄」を混ぜることで、薄くなった墨の基線がはっきりと表れる効果があります。


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表具も悩んだのですが、木だからといって緑や茶にするのは芸がないなと思い、シンプルに黒にしました。黒にした効果でより淡墨が浮き出たのでよかったかなと思います。

 

はい、仕上がりはこんな感じです~。


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「これからは木しか書かないってのはどうですか?」

って木材業界の仲間に言われました。そんな書人はなかなかいないと思うのでおもしろいかなと思います。ネタがすぐ尽きそうで怖いけど~。

 

さあ来年はどんな作品をつくろうか、今から楽しみです。

 

 来年も殻を破りたいので違った書風を