書道のくすのき 素の日記

川西市で書道教室やっています(お待ちしています)

我が家の木のダイニングテーブルを磨いてみた

土曜日は初めて教室が午後でした。(例外です)いつもとは違う、はじまりの杜でした。窓を開け放つと、風が入ってきます。青空と雲のコントラストが本当にきれいでした。選挙カーの合間に鳴る、風鈴の音が心地いい。私が木の空間が好きで、はじまりの杜を使わせてもらっています。

 

先日オーナーさんに「はじまりの杜、なんかここをこうした方がいいとかあります?」と聞かれました。いや、思い浮かばない。殺風景な公民館ではやりたくなくて、こだわった場所探し。木に囲まれた空間が、近所にあり、さらに幸いにも、嫌がられることなく貸していただくことができて、本当にラッキーだったよなと思うのです。終わったあと、一人で片付けをしながら、のんびりする時間が実はとっても気持ちいい。書道ついでに、ぜひこの木の空間を体験してほしい、出来れば、ごろんと寝転んでほしい!って、教室では誰もしませんけど笑 ちなみに、さっき私は寝転んで、ストレッチしていました。一人でいる特権ですね。

 

うちのダイニングテーブルは、くるみの木の無垢材です。定期的にメンテナンスをしないといけないのです。日曜日は最高の晴天だったので、天板を磨いて、オイルを塗ることにしました。まずはこれまで残っている油分を、紙やすりで取り除きます。電動のサンダー使ったら楽かな?と思って、コーナンで借りてきたのですが、手でやる方がやり易かった!数日前から痛い首と肩に負担をかけながら、「いてっ」とか言いつつ、サンドペーパーをかけて、汚れを落としました。あー、しんど。

 

木材業界の友人から薦めてもらったオイル、「オスモ」を塗っていきます。植物由来の自然素材、木の呼吸を妨げないのが素晴らしい。木は生きていますから。体に優しいだけではなく、仕上がりもいい優れもの。刷毛を買い忘れたので、要らなくなった古いタオルにオイルを染み込ませて、刷り込んでいきます。木目がきれいに見えてきて、ちょっとテンション上がります。1回目塗ってて、乾かし、ふき取り、2回目塗り込みます。30分後くらいに、ふき取り、あとは約1日使わずに待ちます。そして最後にふき取って完成。ダイニングテーブルが生き返ったのは、本当にうれしい。ま、手間でしんどかったけど笑

 

夜、ショッピングに行っていた家族を、車で迎えに行きました。娘に「うわ、湿布張ったまま来たの!?」と声をあげられ・・・思春期の娘には、ありえない親父の行動笑 首、肩が痛くて、朝湿布を貼ったのをはがすの忘れてた~。

 

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あけびを食べた

梅田のハービスエントで、その言葉に出会いました。「思いやりより想像力」エッセイスト松浦弥太郎さんの本にあることばを、ハービスのいろんなところに掲示してあったのです。エスカレーターを降りる瞬間に、はっと目にはいったその言葉。『そうだよなあ~、私に欠けているのは、想像力だよなあ~』と、しみじみ感じました。思いやりは時には自分勝手で傲慢になってしまう(やってあげている感を出しまくってしまう)ことがあるので、そうではなく相手が何を考えているか「想像」をすることが、相手への優しさに繋がるんだ、ということだと解釈しました。この想像力が欠けていると、全く違う「思いやり」を見せてしまうのでしょうね。うーーん。難しい。相手のことを想像するってのは。

 

昨日夜、書道の個人レッスンに行きました。月1回、個人宅にお邪魔しています。そこであけびをいただきました。「お子さんたち、見たことないんじゃない?」と。確かに、見たことないかも。今朝食べてみたのですが、おやつ感覚で、とろっとして、美味しい。種はそのまま飲み込んでいいよと言われていたので、飲み込んで食べました。トイレに行くのが楽しみ、種出てくるかな笑

 

先日DIYで本棚を作ったと書いたと思います。そして、その洋室に、置き畳を買って敷き詰めました。書斎というのか、なんというのか。うちではリラックスルームと名付けました。マンション住まいで、子供たちも親も自分の部屋がないので、一人になりたいときは自由に使っていいという部屋です。あ、書道はやってはいけないんだって…私はすぐ汚すので笑 この部屋に家族全員の本と漫画、そして、「木のあかり」しか置いていません。「木のあかり」は、青森のヒバを使って、格子を組んで、そこからあかりが漏れてくる、小さな照明(工芸品)です。昔父からプレゼントでもらったのが、この部屋で活かされました。照明を消し、この木のあかりだけをつけて、畳の上に寝転ぶと、とても落ち着きます。お香でも炊きたいですが、そこまですると怪しすぎますかね笑

 

そういえば、昨日の夜の空、月のすぐ横に火星が赤く光っていましたね。きれいでした。月も火星もきれいに見えて、二度美味しい、みたいな感覚です。天気がいいと、それだけで気分がよくなります。今日も空を眺めよう。

 

 

書を楽しむ場という小さいビジネス

衆議院議員で、ソフトバンクの社長室長を勤めた嶋聡さんの講演を聞きました。木材業界の会の企画でした。行く前はスケールが大きすぎる話かもなーと思っていたのですが、実際に聞いているとふむふむと刺激になりました。まあ聞いてそれを生かしてどう行動するのかが大事って嶋さんもおっしゃっていましたが。でも、聞いて、なるほどなと心に何かを感じるだけでもいいのかなとも思います。心に感じると、それが書に何かのカタチで現れるかもしれないですし。

 

孫正義さんの魅力は何かという質問があとで出たのですが、楽天的で進歩主義だと言われていました。常に未来を見つめて、希望を語るところに、周りがひかれてついていくという感じなのでしょうか。私が自分が人を引っ張っていくタイプでもないですし、人にひかれてついていくタイプでもない(でも、結構人の影響は受けやすい笑)ので、率直に孫さんってすごいんだろうなーと思います。

 

IoTやAI革命が起こっている現代に、さらに未来を見て今何をするのかを考えて実行する、言葉でいうと簡単ですが、未来の予測すらなかなかできないですよね。ありきたりですが、書の世界もその時代にあって変わっていくのでしょう。そして、私も、それは考えてどんどん取り入れていきたい。それでもやっぱり変わらないものってあって、それも大切にしていきたいとも思います。それが文化なのだから。

 

思考が飛躍したのですが、書道教室、と、自分の空間を表現していますが、本当に教室というのが正しいのか?と思いました。どちらかというと、書を楽しむ場、なのかもしれない。書道に親しんで、楽しく、敷居が低く、また行こうと思ってもらうかということを考えて、場を提供しています。毎回同じ言葉を書いてもつまらないだろうと思って、来てもらったその日、その日、違う言葉を書いてもらっています。もちろん、一人一人違う言葉です。大人の女性では、自分で書きたい言葉を探して、お手本(設計図みたいなものですね)をその場で書いて渡して、お稽古したりということも。人それぞれ、他人との競争もしません。本来書に競争なんて、必要ないから。(他人と争って勝ったら快感なんだけど笑)段級システムは良くできていて、やっぱり上がると嬉しいし、またやろうと思えますからね。でも、芸術は人に採点されるものではないとも思うのです。競争で心は磨かれないし。だから、私の教室では、段や級をとるようなことはしていません。(どうしても取りたいと言えば、応相談です笑)

 

多分不器用な運営だと思うのです。テキストコピーして、添削して、提出して、はい、2段とかいってる方が効率はいい。一気に20人、30人相手にできます。でも、でも、それれって高度経済成長期のスタイルじゃない?IoT革命の今、一人一人の価値観や志向が細分化されているのに、それで楽しいか?。それで心は動くのか?って。お金をいただいてやっているから、小さい小さいビジネスのひとつです。いや、サービスのひとつか。高度経済成長期のサービスでは、もうみんな満足しないと思うのです。だから、今後もこんなスタイルで、書道教室、いや、書を楽しむ場を運営していきます。小さくても、前を向いて、未来を見つめて。

 

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お昼休みの使い方

会社でのお昼休みは大抵スマホでゲームをしたり、本を読んだり、寝たりしています。たまには気分を替えようと思い、外へ出ることにしました。スマホで音楽を聴きながら、どことはなく歩いていたのですが、団地へと足が向いていました。木々がたくさん生えているせいか、鳥の鳴き声がたくさん聞こえてきたのが意外で、スマホの音楽を止めて、鳥の鳴き声に耳を澄ませながら、歩いていました。団地の中に公園があるのですが、これまた改めて気づいたことには、木がたくさん植わっている。花もある。そして団地の人もまばらですが、めいめいにベンチに座り過ごしているのです。ああ、身近な団地の公園なのに、こんなことも気付いていなかったのかと驚きました。目が疲れたら、緑をみればいいと、何かで聞いたことがあります。木に目をやり、みどりを目で味わい、一本一本表情の違う木をながめたあと、しばらく本を読んでいました。しかし本を読んでいるのももったいないと思い、さらに足をのばして、河川敷へと出かけました。ウォーキングロードにもなっていてきれいに舗装されているところから、海ともいえるくらいの大きな川を覗いてみました。天気があまりよくなく、川の水もきれいとはいえないのですが、海の潮の匂いがしていました。潮の匂いも鼻につくので好きではないのですが、今日はなにかわくわくするような気分になりました。

 

そんな小さな旅を重ねて、昼休みも終わりになり会社に戻ってきたわけです。こんな隠居のじいさんみたいな時間の使い方も時には新鮮です。都会につくられた緑でも、十分自然を堪能できますね。本当いうとこの気分のまま、墨を磨って筆を持ちたいのですが、まだ午後の勤務時間がありますからね・・・少しだけ我慢しますか。お昼にリラックス出来たので、今晩もぐっすり眠れそうです笑 

 

Schoffelというドイツのアウトドアブランドに、おもしろい企画があるのを、以前から気になっていました。スマホなどの電子機器をもたず、目的ももたずに、都会から離れて自然の中で何もしないという、オフチャレンジ。Schoffelが主催する企画に参加したことはないのですが、楽しそうですよね。サイトをみると最近はされていないようですが、やろうと思えば個人でも出来ますよね。何もしないで自然を満喫する、これやってみたい!北雲雀きずきの森、という、里山として復元された公園が、川西にはあります。よし、ここへ行って、自分なりのオフチャレンジをやってみよう。感想をお楽しみに。

 

自然、自然と書いていますが、私はキャンプなどアウトドアはからきしだめ。子供の時に全く経験をしていないのです。アウトドア好きになるって、親の影響が大きいですよね。うちは全く両親がキャンプなど興味がなかったので・・・。ということで私も子供らをキャンプに連れて行った経験はゼロ。あ、一度だけ神戸のどこかに行って、カレーを作ったことはあったかな。ということで、いわゆるキャンプのようなものは出来ないと思うので、里山をぶらぶら散歩する程度です。はい。

 

 

書道によって育まれるものはなんだろう

また家で不機嫌になってしまいました。あーあ。息子の素振りを見ているときに、見本を見せようと私が振ったら、娘が「なんかお父さんの変、腰が回ってないし」って言うもんで、カチンときてしまいました。あー、なんで受け流せなかったんだろう。娘も息子にあーだこーだアドバイスするし、私も言うもんだから息子も不機嫌になるし、いいことなし。他人にだったら不機嫌見せたりしないのに、自分の子供にだったら、反射的に感情を出してしまうんです。なぜ大事な人なのに、簡単に怒りの感情が沸いて出してしまうんでしょうね…。昨日ブログで、愛がどうたらこうたら語った矢先にこれかいって情けなくなりますね。

 

自分の書の稽古をするとき、いつも30分くらいたっぷりと墨を磨って、それから1時間くらい書いています。しかし早く寝たいので時間がなかった昨日は、数分磨って、3枚だけ書いて、終わりました。よくいろんな本にも書いてありますが、少しでも継続するって大事。プチ達成感で自己満足。書道って道具の用意、片付け(硯や筆を洗ったり)があり、その時間は一定だから、どうしても少ししか書かないでやめるというのは、もったいない気がしていたのです。でも、時間や枚数ではなく、心を整えて没頭して書く一枚も大事だなと、改めて思い直しました。ちなみに、墨をする時間を短縮するために墨汁を使うことはしません!(きっぱり)そんなは書道じゃないので。

 

道教室をやる身として、書道を習いに来てもらうってなんだろう、と、よく考えることがあります。特にお子さんのことについてですが、根本としてあるのは、情緒を育むことにあるのではないかと思うのです。自然や美しい言葉を、自分の心に思い浮かべながら、心の底で筆を動かす。それによって、さらに心の中の美しい部分が共鳴する、そういう意識を持っています。本当は、森や林に行ってそこで書道具を開いて、「さあ、ここに見えたり、感じた言葉を書こうか!」って、いう野外授業もいいと思うのです(やったことはありません)。そこまではやれなくても、教室の中で、一人一人の段階に合わせて、季節にあった言葉を練習してもらうのは、このような理由からです。情緒を育むには、やはり環境が大事で、だから、公民館ではなく、木の家を選んで、自然のモノに囲まれた空間で教室をやっているのです。字が上手になるという効果も書道にはあるのですが、それはあくまでも結果で、なぜ書道を私が伝えていこうとしているのか、それは美しい心を輝かせる情緒を育んでほしいからというのも、ひとつの理由です。

 

地蔵とリビドー

友人に誘われて映画を観てきました。地蔵とリビドー。正直、上映後、言葉が出ませんでした。滋賀県にあるやまなみ工房という作業所で、アートを産み出している人たちの、ドキュメント。ただ、ひたすら、それをしたいから、没頭して創作活動をしている人たち。言葉にならないのですが、あえて言葉にしてみようとするならば、対価がどう、評価がどうとか、そういうことではない。ヒトとしての本質をむき出しに表しているのかと思うのです。それを個性という言葉で当てはめられるのかわからないのですが。

 

本質の本質、それを深めていくと、愛になるのかもしれません。クサイこと言ってますね笑 でも、対象に対する深い深い思い、心のそこから沸き上がってくる強い思いって、それも愛なのかと思うのです。その愛の深さがもろに表現されるとき、アートとして何かが生まれるのかもしれません。一見自己中心的な生き方であったとしても、愛が深ければ、自己中心的な生き方から脱却出来るはず。ああ、私の生き方は常に自己中心的で、愛が足りない。ということは私の書には愛が足りなくて、アートたりえない。(じゃあどうする?)というのはわからない。そんなことを感じたわけです。

 

数学者である岡潔の「春宵十話」を読んでいます。数学も突き詰めると思想であり、哲学になるのでしょうが、自然に根差した情緒が人間の中心にあるべきだと語っています。そのなかで、他人が悲しいと思うと、自分も悲しいと思う、それが愛だというような記述がありました。確かに、他人の悲しみが自分のものになってしまう人間が愛があり、感情が深く、豊かな情緒を育んできたのだと言えるのだと思うのです。そんな人間が生み出す創作こそが本当のアートであるのかもしれません。魯山人のいう、書は人格だ、人だ、というのも、究極、その人に愛があるか。人の悲しみに悲しいと思えるのか。そういう人格を作り上げた人の作る書が能書なんだ、ということなのかと、自分なりに感じたのです。

 

私はきっと、「他人に嫌われないような生き方」をしてきて、「いい人」もどきで生きてきたんだと思う。それでやれた。でも、私のなかに他者への「愛」は生まれていなかった。いや、薄かった。嫌われないように、衝突しないようにするからこそ、実は自分の殻に閉じこもっているだけで、線を引いて生きていたのだと思います。うわっつらだけのいい人もどき、そんなものは意味がない。『今の私の書はアートたりえない。心の底から愛が湧き出て、そんな書が書ける自分になりたい』と思ったのです。だから愛を生産するには、まずは自分自身、余裕を持つことが必要ではないか…体を整え、心を整えなければ始まらないだろうと、昨日は21時頃と早く寝ました。息子にも、「最近は食べる、寝る、食べる、寝るやなぁ」と言われてしまいました。まぁ、難しいことをこんな風にこねくり回して考えると疲れるので、眠るしかないわけです。夜が明けたら、朝には変身しているかもしれない。そんな期待も込めて。朝になって生まれたのは、猛烈体の痛みだけでしたが笑 (寝すぎると、首や肩が痛いのですが、年のせいなのでしょうか?体が重いからでしょうか?)

 

愛を生産しよう。生み出せるか?自分。

 

 

自分を乗り越えろ

「アテンション・プリーズ 散歩のみちに遭う 一つの雲の こんな優しさ」

 

すでに故人ですが、杉﨑恒夫さんの短歌が私は大好きです。「パン屋のパンセ」という歌集をちょくちょく読み返しています。そもそも杉崎さんの短歌を知ったのは、私が書作品で、星や宇宙をテーマにした書をかこうと題材を調べていた時でした。死というものにも素直に向き合いながら、穏やかで優しく、分かりやすい短歌だなぁと、好きになったのです。びっくりすることに、かなり高齢の時に(80代?)作られていたとか。このみずみずしさはなんでしょう。やはり人間の品、なのでしょうか。

 

この短歌を半切に書いて、とある競書大会に出すことにしました。墨を磨り(玄勝堂さんの玄龍)何枚か書いて、先生からのアドバイスも頂き、修正をして我ながら納得の1枚が出来ました。

 

が、先生は、その前に書いていたものの方が、迫力があって目に入ってくるから、その方がいいと言われました。うーーん、自分としては、最後の1枚の方が自然にかけたつもりだったんですが…。「こちらを出品したい」と言おうかと思ったのですが、思い止まってしまいました。先生としては、より、審査の目に止まる方を選ばれたのだと思うんですが。

 

帰り道は自己嫌悪&反省(おおげさだけど)

 

「うおーーー、おれはこっちのほうがいいと思うんだ!!!」って帰り道もまた思えてくるから、どうしようもないですよね笑 人に迷惑をかけないのであれば、正直にまっすぐに考えを伝えたいと思っていたのになあ・・・。それを出来るようにならなきゃ。人間が磨かれないし、となると、いい書が作れない。『あーあ、また人前でいいこちゃんしてしまったわ・・・』って思うと、あーあかんな、こんなんじゃって思うのです。

 

先生への尊敬と、自分の思いを伝えることは、決して相反するものではないはず。次は思ったことを口に出せるよう、いいこちゃんにならないように気を付けようと思ったのです。

 

さあ、自分を開放して、自分を乗り越えよう!笑

 

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