書道のくすのき 素の日記

川西市で書道教室やっています(お待ちしています)

アートは単純な方が、おもしろい

アートは単純な方が、おもしろい。

 

宝塚現代美術てんてんを観てきました。宝塚文化創造館で、荒木田義人氏のラップと風船のアートがお目当て。風船にラップを巻いて、その風船が割れた後のラップが、アートになる。言葉にすると意味不明。でもアートなんて、直感で自分に合うのか合わないのか、それだけかなと思うのです。私としては、このラップと風船のアート、なかなかおもしろいです。

 

私が着いてからしばらくすると、「パフォーマンスやります!!」と、氏のパフォーマンスが始まりました。このパフォーマンスがまたおもしろい。「風船、割ります!」と叫んで、ラップにカッターを刺す。すると、中の風船だけが割れるのです。近くのみなさんが続々と指名されて、「風船割ります!」と言って、割っていかれました。豪快に刺す方、やさしく刺す方、それぞれです。そして、私にも順番が回ってきました!「風船、割ります!」と絶叫した後、ラップにカッターを刺そうとしたら。足元にあった、粘土細工に足を滑らせて、空振り笑 笑いは取れました。あらためて、落ち着いて、豪快にカッターを刺しこみました。拍手をもらい、自己満足。

 

「いや、これ割ってしまっていいんですか?」って、あとで聞いたのですが、「割ることで初めて作品に仕上がるんです!」と言われました。なるほど・・・。「こんな単純なアートですが・・・」と氏がおっしゃるので、「いや、やっぱりアートは単純なほうが、いいですよ。とってもわかりやすい」と私。我ながらいいこと言う。そう。アートは単純なほうがいい。書も究極は単純なほうがすばらしい。良寛さんの書も究極そぎおとされて、単純化されています。それでも『いいな』と思うから、やはり単純な方が、いいんじゃないのかなと思います。観て、なんかしらんけど、へえ、これでいいんじゃないかな。

 

書の場合、単純がいいからといって、単純なものばかり書いていても深みが出ません。日々、古典を臨書をして、線を磨き自分を磨き、その積み重ねがあってはじめて、単純にかくことが出来るのでしょう。落書きでは意味がないですからね。そんなことを考えて、私も家で墨を磨って、臨書に励んだのでありました。

 

心の中にある何かを吐き出すには、自分を磨いて、出すときは単純に。書も、そんな向き合い方できたらいいなと思います。

 

 

 

 

能勢の雰囲気、カフェの空気で、書道に活かす

秋晴れの日はオフィスにいてはいけないぜ、と、ばかりに、能勢へいってきました。以前能勢に行ったとき、「あれ?これなんだろう?」って思った建物があったのですが、インスタを見ているとカレー&コーヒーのお店だとわかったので、行くことにしました。最近私の中で能勢が熱い。少しずつ能勢にかかわっていけないだろうかとたくらんでおります。野間の大ケヤキのあたりも、土日祝は人が集まっています。私の好きな木や星も、ここでは美しい姿をみせてくれます。「能勢でワークショップみたいなの出来ないのかな~、なんなら書のアトリエもほしいなあ~」っていう、アーティストっぽいことを言ったりもしてみています。

 

お店は国道477号線にある「ヨナナ」。477号だからヨナナなんだと思います。平日の昼を過ぎた頃なのに、お客さんが数組いてびっくり。やはり能勢は熱い。ランチセットを注文しました。チキンカレーのスパイスが、やさしいけどしっかり辛さもあって、とてもおいしかったです。コーヒーも自家焙煎されているのかな?おいしくいただきました。満足満足。

 

そうそう、コーヒーといえば、天六にある「喫茶路地」という、古い長屋をリノベしてやっているお店をインスタでみたので、行ってきました。徳島で買ったマメがなくなったので、マメも買って帰ろうと。建物の古さと雰囲気がまたかっこよかったです。落ち着いた空間で、仕事帰りにコーヒーをいただき、ほっと一息。こういう古い空間では、コーヒーの御供は本ですよ、本。ドトールやスタバでは、スマホで音楽を聴いたり、ゲームをしたりするのですが、こういう雰囲気のあるお店では、やっぱり読書ですよね。(ちなみに吉川英治の「私本太平記」を読んでいます)

 

どちらかというと、カフェであったり、アートであったり、そういう人ともっとかかわっていきたいな、って最近思います。書道界よりも。そういう方と仲良くなって、刺激しあって、自分の書の世界も、もっともっと広げていきたいなと。もちろん伝統的な書道を学び続けることは必要だし、もっともっと稽古をしたい。でも、それだけではない世界をみたい。

 

道教室においても、書道やっている人が当たり前と思っていることを、壊していきたいと思うのです。墨汁をちゅーっとやって書くとか、みんなが同じ課題をやるとか、段や級にこだわるとか、そんなのおかしくない?って。墨を磨る楽しみとか、言葉を選ぶ楽しみ、それも含めて書道ですから・・・。それを喜んでくれる方々が、教室に集まってくれたらいいなあと思っています。

 

 

 

 

 

書道するのにあったら便利な、意外なモノ。

いつでも役に立つ優れもの、それが手ぬぐい。図柄やデザインの面白さはさることながら、やはり使い勝手が素晴らしいです。さっと手を拭けて、すぐに乾く。そしてタオルのように分厚くなく、コンパクトに置いておけます。家で洗い物をするときは、タオルではなく、手ぬぐいでこまめに手を拭きます。ジョギングの時も首にかけています(ダサいからやめてと家族に言われます笑)顔を洗ったあとも手ぬぐいで拭きます。体を洗うのも手ぬぐいをつかいます。体を拭くのも手ぬぐいを使います。(家族からはやめてといわれています笑)そんなふうに、私の生活に手ぬぐいは欠かせない。手ぬぐいLOVE。

 

道教室でも、洗った手を拭いたり、道具を拭いたり、流しを拭いたりと、拭くという作業が多くあります。特に硯をあらったあとの手は、墨に汚れていることが多いんです。これをタオルで拭くとタオルに墨汚れがつくから、なんとなく気がひけます。また、硯を拭いたりするのに、ぞうきんを持っていっていました。使い終わったぞうきんをジップロックに入れて家に持って帰るのですが、洗い忘れてそのままバッグに・・・異臭ぞうきんのできあがりってことも何度かあって。なんとかならないかなあとずっと思っていました。

 

先日河内長野で、木の看板を書いた時。とのこを刷り込む用として、seriaで「手ぬぐい風タオル」を買いました。結局とのこを刷り込むときには、ぞうきんを貸していただいたので、このseriaの手ぬぐいは使わずじまいでした。あ、でも、これ教室や書道の後の手拭きに使えばいいやん!もし墨汚れが激しくなったら、買い替えても108円。なかなかいいアイデアだ。書道の後に手を洗うとき、いつも何で拭くのか迷うのです。自分の手ぬぐいはお気に入りのデザインだし、墨汚れつけたくないし。ましてや家族が一緒に使うタオルに墨汚れをつけると後が怖いし笑 seriaの108円手ぬぐいなら、安心して手を拭けます。汚れてもいいんだって思うし。なんなら洗った後の硯を拭くのにも、安心して使えます。汚れてもいいし、洗ってもすぐ乾くし。やっぱり手ぬぐい最高やん。

 

書道をやっているみなさんは何で手を拭いているのでしょう?100均手ぬぐい、使ってみるのおすすめです!使い心地は・・・まあ当然ながら普通の手ぬぐいには劣りますが、なんといっても乾きがはやい。手をふいてもすぐかわくし、洗濯してもすぐかわくし、本当にすぐれもの。病みつきになりますよ・・・笑

書道教室のあと、妙見の森へ行ってきた

土曜日、いい天気でしたね。母娘で書道教室に来ていただいている方がいらっしゃいます。これまで同じ机に向かい合わせで座ってもらっていましたが、それぞればらばらに座ってもらったほうが、お互い集中できるかもと思ったのです。お子さんはお母さまの目が気になるし、お母さまもお子さんが粗相をしないか気になるし。席をばらすことで、お母さまも集中できたのではないかなと思います。どうだったか、また感想を聞いてみよっと。

 

教室終了後、1階のテラスでコーヒータイム。1階の手打ちパスタのお店・イートイン・デ・ノミーナさんでコーヒーをいただきました。豆から挽いているのかな?おいしかったです。あたたかな日差しをあび、吉川英治の「私本太平記」をよみながら、テラスで一人優雅に。いいなあ、この瞬間。

 

そしてふと、このまま妙見山まで、のせでん乗っていってみるかな、と思ったのです。のせでん乗って妙見口へ行くのは本当に久しぶり。山の中を電車が進んでいく間、わざわざ窓際に立って外の景色をみていました。山下駅北のあまり使われていないのか、草のはえた引き込み線、とても風情があるなあと感じました。癒されます。

 

妙見口についてコインロッカーに書道道具をしまい、身軽にケーブルの黒川まで歩きます。天狗のお面が飾ってあるバラック、「早く帰ろう」と書いてある中学校PTAの看板、古ぼけた道標・・・きょろきょろ見ながら歩くのですが飽きません。それでも結構な距離があるので、歩き疲れてきたところ、ケーブルの駅に到着。ケーブル+リフトの往復割引券を買って乗り込みました。ケーブルは大正時代に設置されたようで、その歴史に驚かされます。ケーブル山上駅についてから、急な坂道をあがると、妙見の森へ到着。ここで一休みしようかと思ったのですが、山の上のほうが寒くなるだろうと思い、そのままリフトにのって、妙見山まであがりました。

 

ここのブナ原生林は、なんと氷河時代から続いているというもの。台風の影響か、倒れているブナの大木があったのは、痛々しかったです。木漏れ日を感じながらブナ林を歩くととても気持ちがいいものです。そして寺の裏手から妙見山へと入りました。

 

お願い事は特にないので、なんとなく手を合わせてから、ぶらぶらと境内を歩きました。昔来たときは広いなと思ったのですが、あれ、こんなに狭かったっけ?と思いました。私は星が好きなので、北極星信仰の聖地と言われる妙見山には、なんとなく親しみがわいているんです。ブナ原生林といい、北極星の聖地といい、能勢妙見山、私好みの場所です。

 

リフトで降りて、妙見の森へ。だんだんと曇ってきたため、寒いくらいになってしまいました。コーヒーでも飲んでと思ったのですが、寒いので、アート作品でもある、「北極星駅」と「ブランコ」を見て、ケーブルに乗って降りました。たくさん歩いて疲れたのですが、里山の自然に触れて心地いい時間を過ごせました。後日、たまたま子供たちが観ていた「もののけ姫」を私も観たのですが、里山や森と人が共生できたら本当に素晴らしいだろうなと思います。共に生きる、そうあるために、小さくても何かをしていきたいな(具体的にはまだわからないけど)と感じた休日でした。

 

 

通勤電車で新聞を読み始めて、1ヶ月くらい経ちました

22歳で会社員になったころ、通勤電車で多くの会社員が日経新聞を読んでいる姿をみて、『うわ、ださっ』って思っていました。いい年した大人が、揃いも揃って日経を読んでいる姿。それをしていないと、『おかしいんじゃない?』という空気すら出ているという。会社や取引先で、経済がどう、政治がどう、と、あたかも知っているかのように語る人はいました。その当事者じゃないのになと、違和感を覚えていました。なので、私はあえて、時事問題について話題が出ても、「へえ、そうなんですか。(当事者じゃないから)よくわからないです」って笑顔で答えていました。

 

時は流れ、通勤電車の車内は、スマホ一色。だれもがスマホを触っていて、昔のように新聞を広げて読んでいる人が少なくなりました。私は時事問題をあたかも知っているかのように語る人間や、みんなが常識と思って新聞を読んでいる姿がいやだったのですが、心境が変わってきました。『新聞でも読んでみようかな。ずっととっているけど、読んでいないし、もったいないかな・・・』って思ったのです。みんなが電車の中でスマホばかり触っているのも気持ち悪いので、一人くらい新聞読んでいる男がいてもいいかな・・・とも。

 

電車に乗って梅田まで行く時間に読み切ろう、と自分に約束をして、新聞を持って家を出ることを続けました。丹念に読むととても梅田まででは時間が足りないので、興味が薄い所、私の場合国際面の欧州やアラブ諸国のこと、病気や介護のこと、小説、スポーツ、三面記事はさらっと眺めて終わりにしました。その代わりコラム、政治面、アジア関連の国際面、社説、経済面は、ちゃんと読むようにしました。色んな発見がありました。まず編集について。新聞を半分に折ってめくりながら読むのですが、多少のずれはあるものの、半分のところで記事がうまいこと始まったり、終わったりして、めくり返す必要がないのです。次に情報。時事問題だけではなく、いろんな話題があります。マイナーなところで気に入っているのが、週1の漢方コラム。アーモンドをはちみつに浸けて食べると、喉に湿り気があって、風邪予防になる・・・など。へえ。あと、月曜日はちょっと軽めの記事がおおいなあ、とか。

 

多くの言葉を朝から浴びることがいい刺激になっています。新聞で読んだことを、ネタに話をすることもあります。あ、その時は「新聞で読んだんだけど・・・」って前置きをしていますけどね笑 とにかく活字に触れて、自分の頭で処理をして、言葉を蓄える、そのために新聞はいいのかもしれませんね。それにしても、新聞読む人減っているよなあ。デジタル時代かもしれないけど、とてもいいコンテンツだと思うんですけどね。引き続き通勤で新聞を読んでいきます。あ、飽きるまではね。

 

kusushodo.hatenablog.com

 

 

 

薪をくべて石釜で焼いたピザを食したよ

薪をくべ、石釜で焼いたピザを食べる。そんな素敵なパーティに行ってきました。木材業界の先輩がやっています。そもそもは薪からスタートしたのが、今やイタリアの食材の輸入まで手掛けてられます。

 

作るところを見ていました。手でびろーんと生地を伸ばし、ソースを塗り、チーズをまぶし、オリーブオイルをさっと一振り。あ、ピザってそんな簡単にできるんだ!と思って、私も作ってみましたよ。

 

が、まず、生地が伸びない…近くで見ていた人にも「全然伸びていない笑」って、言われて、「これはピザじゃなくて、餅を作っているんですよ!」って、訳のわからない言い訳をしながら、必死でこねこねこねこねしていました。よーし、だんだんのびてきたと、思ったら真ん中に穴が開いた!また、後ろのギャラリーから、小さな笑い声。「いや、これは、目と口を開けたんです!」と、私は再び苦しい言い訳。

 

石釜に放り込み、しばらく見守ります。意外に焼けるのが早い。「少し持ち上げて火の近くに当てると、チーズがぷくぷくして、おいしくなりますよ」って教えてもらったので、やってみました。確かに!焼き上がりは生地の分厚いピザが出来ましたが、味は美味しかったです。

 

最近ブログで書の話をあまりしていません。書人が書道の話ばっかりしても、面白くないだろうなって思うから。書道以外のところで、私がどんな生き方をして、どんなことに反応して、何を考えて生きるのか、も大事だろうなって思うんです。だから、あえて、『こんなことしました!』みたいなことを記事にしています。書は人なり、です。書じゃないところでも考えたこと、行動したことが、自分の書になり、教室での言葉や伝え方にもなるんじゃないかな。

木を愛する書人が、木の看板を書いた

私は「木を愛する書人」と名乗ることにしよう。今年9月の展覧会では「樹」を書きました。これからも木や樹を書にしてかいていこうと思っているのです。さて、そんな私にぴったりのご依頼をいただきました。水都おおさか森林の市の出展ブースに置く看板書きです。声をかけてくれて、本当にありがとう!きれいに削って磨いたひのきの板と、ざっくり切ったひのきの丸太2本の表面に、それぞれ墨で字を書きます。

 

木に墨で字を書くときの大切なポイント。まずは、「とのこ」で目止めをすること。もうひとつは、墨はなるべく濃くしておくこと。木は水分を含んでいるので、どうしてもにじみやすいのです。だからとのこで目止めして、濃墨でねっとりと書くのです。前日にとのこ、刷毛、プラスチック容器、てぬぐい、紙ヤスリを用意しておきました。

 

当日、木のある河内長野へ。天気にも恵まれ、気分も高まります。到着してとのこを水に溶かし、刷毛で木材の表面に塗り込みます。半乾きになった状態で、てぬぐいで円を書くようにして、木の表面に刷り込みます。そして日陰で乾燥。ひのきの丸太が切ったばかりで水分をたくさん含んでいたので、なかなかとのこが入っていかなくて焦りました。(結局丸太にはとのこを塗りすぎてしまいましたが)日陰で乾燥させて、余分に浮き出ているとのこを新しいてぬぐいで拭き取り、準備完了。あとは書くのみ。

 

家で磨ってきた墨を、もう一度ねっとり濃く硯で磨ります。とろとろになったところに、筆にたっぷりと含ませます。「下書きはしないんですね」と、あとで驚かれたのですが、私は一発勝負でいきます。一番怖いのは字の配置。書いていったけど最後まで入らなかったというのは、どんなに字か良くてもアウト。その割り付けだけは慎重に頭の中で準備。さあ、書く。縦書きの看板は、きれいな楷書で遊びなし。丸太のほうは、崩した陽気な字。どちらも一字一字丁寧に、墨をつけ直し、配置のバランスに間違いないかチェックしながら木に字を埋めていきます。とのこも無事木に入り込んでいて、にじむことなく書くことが出来ました。あー、緊張した。無事、任務終了!あとは墨が乾燥するのを待つだけです。この看板で人がたくさん寄ってくるといいなあと思うのですが。(日曜日、水都おおさか森林の市へ、ぜひお越しください!)

 

山や木々を眺めながら、外で書くのはサイコー。ほんと気持ちいい。帰りは楠公楠木正成)ゆかりの観心寺をぷらぷら見ながら、家にかえりました。楠公のことは、またいずれ。