くすのき書道教室ー兵庫県川西市ー

墨の香りx木の香り/ひとりひとりを丁寧に、少人数の書道教室

でっぱってきた腹をへこませようとジョギングを再開するために秘密兵器を購入してみた

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はじまりの杜のご近所の皆さま、フライヤーを見ていただきブログにお越し頂いたことと思います。どうぞお気軽に体験お越しください。大人の方もお子様もお稽古していただけます。次回の稽古は7月8日(土)9時半~12時半です。

 

こんなこと言われてしまった

先日私が所属している木材業界の大きなイベントがありました。その当日控室でだらーっといすに腰掛けていたら仲間の一人にこう言われました。

 

「くすのきさん、2年前一緒にやってたときはもっとしゅっとしていたけど、よく見ると・・・ぼよっとというか、あれですね。」ごにょごにょ。

 

やっぱりそうかーーー!

 

シャツが広がりすぎて、かわいそうなことになっているもんなあ。

 
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(前方から撮影。ぶれているのはカモフラージュしようとしたわけではありません。)

 

ジョギングを再開する決意を固める

書道にも腹回りの肉は影響します。椅子に座って姿勢を正していざ書こうとしても、なんか姿勢が伸びている気がしないんです、肉のせいで。姿勢のわるい先生なんて子供たちのためにはならないじゃないか。書道の未来のためにもやせなければならない。

 

やせよう。絶対やせよう。ジョギングを再開しよう。

 

もうやめてしまったジョギングを再開するには相当強い意志が必要です。その意志を貫くためには秘密兵器を用意しよう。おなかをへこますのは簡単じゃない。だからこそとっておきの武器を購入しました。

 

しかも限定販売です。ネットでしか買えません。工場から直送で取り寄せました。それくらい気合いれないとジョギングも減量も成功しませんから。

 

ようやくその秘密兵器が1箱届きました。

 

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コイケヤ工場直送便。ポテトチップスうすしお味。この秘密兵器があればジョギングも減量も成功したも同然。うしし。テンションが高まってまいりました。ご褒美があれば頑張れるじゃないですか!

 

この決意を邪魔するやつは何人たりとも許すまじ

が、邪魔するやつがいました。

 

食べ盛りのうちの子達。中学生です。

 

「食べたい」だの「独り占めするのか」、「そんなの食べたらデブになるだけだ」などさんざん言いたい放題私に言ってきまして、私もむきになって「いい油をつかっているから太ることはない」「工場で生産したその日に出荷をしたフレッシュでスペシャルなポテチなんだから君たちにはまだ早い」「君たちの成長に必要なのはタンパク質であって、でんぷんではない」などと説明をしてきました。それでも自分たちにも食べさせろと交渉を挑んできました。

 

ちょっとしつこかったのでついに私も堪忍袋の緒が切れました。これまで家族には言ってはいけないと固く守ってきたフレーズを怒りを鎮めながら静かに伝えました。

 

「父さんの稼いだお金で買ったものだ。以上。」

 

最近娘が冷たいのは思春期だからではなくこの発言のせいかもしれません。それでも気を取り直して、さ、走ろう。

 

あ、明日は雨か。無理やな。

筆をおろして書いてみよう

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道教室は月3回なので、先週土曜日はお休みの日でした。次回は6月24日(土)です。体験ご希望のかたは前日までにメールフォーム等でお申し込みくださいね。7、8月の稽古日程は近日中にアップします。

 

プレゼントはいつだって嬉しいです 

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先日筆をいただきました。私の嗜好にぴったりのものをプレゼントされるその心配りのすごさに正直感嘆しました。相手のことを考える姿勢を私も見習いたいと思いました。ありがとうございました。次は墨をちょうだ・・・

 

ちなみにいただいたのは京都の香雪軒さんの筆で、武者小路実篤富岡鉄斎谷崎潤一郎などの文化人が通ったお店のようです。一度行ってみたいと思います。ちなみに写真ではみづらいですが、小筆はカラフル。宮中のお歌会のお題を毎年イメージされて色を付けられているそうで、とても珍しくて美しい筆をつくられています。

 

www.kousetsuken.com

 

せっかく筆をいただいたので、今日は「筆おろし」の話をします。「えー私の筆おろしは◎☆才の時で・・・」ていうのとは違います。新しい筆を使いはじめることを「筆をおろす」と言います。よい子のみなさん、勘違いはいけないよ♪

 

ちなみにいただいた筆はほぐすときに写真を撮っていなかったので、別の教室用の筆をさばいてみました。では。

 

筆おろしの準備をします 

  1. キャップを外すf:id:y-kusunk:20170422000714j:image

    買ったばかりの筆は帽子をかぶっています。まずキャップを外します。このキャップはいらないのですぐに捨ててしまいましょう。キャップをすることで水分を含んだ筆の毛が腐ってしまいます。だから使用後にキャップははめないように注意してください。  

  2. 指でやさしくほぐすf:id:y-kusunk:20170422000736j:image

    筆の毛はのりでかためてあります。触ったらカチカチ。硬くなった筆を指でやさしくほぐしていきます。思いやりをもって、やさしく触りましょう。f:id:y-kusunk:20170422000750j:imageだんだんとほぐれてきました。力をかけすぎないように・・・根元までしっかりと指でほぐしていきます。f:id:y-kusunk:20170422000823j:imageさあ、出来ました!

  3. 水洗いをして糊を落とすf:id:y-kusunk:20170422000835j:image

  4. 水分を取るf:id:y-kusunk:20170422000848j:image水分をしっかりととります。私は反故紙(使い終わった書道用紙)に筆をおいて水分を吸わせるようにしています。そうすればあとで乾きがよくなります。
  5. つるして乾かす

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    筆架があればこのようにつるしておきます。穂先を下にして水が根元に溜まらないようにするのが大切です。鉛筆入れのようなものに穂先を上にして乾かすのは避けたほうがいいでしょう。筆架があるご家庭は少ないと思いますので、流しにS字フックをかけて、そこに筆をつるすのもいいと思います。しっかりと毛が乾いたらこれで準備は完了です。

 

筆おろしの瞬間はワクワクします

新しい筆に墨を含ませて白い紙に最初の黒を落とす。この瞬間心がすごく動きます。ワクワクする瞬間です。墨を紙に落とす瞬間は無から有を生み出す瞬間でもあります。真っ白な紙に自分の軌跡を残す作業。その時の感情を瞬時に紙の中に閉じ込めることが出来ます。

 

筆はすべて同じではありません。硬さ、長さなどそれぞれ個性があります。筆の個性を味方にして、うまい字からいい字を書けるようになったら楽しいです。

 

さあ筆をおろしてみよう!

 

香雪軒さんの筆をおろして初めて書いてみた

 

シークレットシューズと自然体

6月10日(土)書道教室でした。会場のはじまりの杜ではあじさいが咲いていました。あじさいって、紫陽花と漢字で書くと妖気が出ますね。ぞわっとくる感じ。色の変化がそうおもわせるのかもしれません。

 

次回は6月24日(土)です。来週はお休みです、お間違えの無いようお願いします。

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譲れない一線

最近よくブログに書いている司馬遼太郎氏の「風塵抄」。その中に腕のいい職人さんが背が低いことで結婚できないのは嫌だと、結婚に少しでも有利な職業についてしまって、その技を発揮する機会がなくなってしまって残念だ・・・という話がありました。

 

これを読んだ時、ああ、分かるなと思いました。街をあるいていてかなり背の高い男性や女性をみるたびに、『私に分けてくれてもこの人は困らないから、ちょっとちょうだいよ』って思います。

 

私は自称身長16☆センチで、人に尋ねられても☆部分は敢えてごにょごにょ言うようにしているのですが、「15〇センチやろ?」と聞かれると断固として否定をしています。その微差になにがあるのか多分意味が分からない方も多いと思いますが、そういう気分なのです。

 

風塵抄に書かれていたのは平成はじめの話なので、男性に求める条件としての3K(高学歴、高身長、高収入)が今よりももっと幅を利かせていた時代ですね。

 

かなりどうでもいい話になりそうですが・・・このまま続けます。

 

シークレットシューズを履いてみた

シークレットシューズって履いたことあります?

 

あの背が高くなる靴です。かれこれ5年くらい前のことなんですけど、仲良くしている方から「これほんまにええよ!」といただきました。ま、その方は僕よりかなり背が高いので、シークレットシューズを履く必要があるのか・・・は疑問でしたが。

 

初めて履いてみた時ちょっとした感動がありました。世界がちがう!ぱあっとなんか開けたような気がしました。プラス7センチの感動。その時しみじみ思いました。『ああ、身長が違ったら人生違っていただろうな・・・』と。

 

「これは社会を変える画期的な商品だ!」と熱く語り合った結果、「悩める男性諸君のために、おしゃれなシークレットシューズをつくって販売しようではないか!」とその日二人でがっちりと握手をしたのです。

 

あれから5年・・・でもいまだにシークレットシューズを作る企画は立ち上がっておりません!

 

書は自然体がいい

『人間は自然がよいのだな』と最近よく思います。かっこよくみせるとか、とりつくろうとか、背伸びをしすぎることが年をとるにつれて疲れてきただけなんでしょうけど、好きなこと以外には執着しすぎないのがよいなと思います。

 

自然体で生きている人物に触れることがあります。そしてそのナチュラルさが自分の価値観と同質のものであれば、ああ、こんな人になりたいな、と強烈に思うのです。

 

シークレットシューズを履くことも、コンプレックスの裏返しであって、まわりはそんなに自分が思うほど気にしていないはずなんですね。多少の優越感や気持ちよさはあるんですが、やっぱり不自然・・・。

 

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 結局書でもそのようなのですが、技巧に走ったり必要以上によくみせようとすると、書の品が下るのでしょう。つまるところ、すべては「人間」。「うまい字」と「いい字」は完全に別個のもので、人間の出来ていないが練習しまくって書けた「うまい字」なんて何の意味もないのかと思います。

 

「いい字」を目指して書の練習をしたいものです。自分らしく自然体で生きて、それでも人間性を高めようとする毎日こそが「いい字」につながるんだと意識していきたいですね。

 

今日の短歌

ということで、「いい字」を書くためには不自然なシークレットシューズはいらないなってことに思いいたり、5年間停滞したシークレットシューズの企画販売も断念します。そしてこれからも人に身長を問われたならば、私は16☆センチとごにょごにょ答えることになりそうです。

 

そんなことを思って作った短歌はこちら。 

 

 

10センチあと15センチ高ければ きみのつむじに空手チョップ

 

 

いや、やっぱり身長はほしいわ・・・・。

 

 

雲収山嶽青

雲が散って山が青くぱっとひらけるように、心の迷いも晴れ渡る、という意味の禅語です。

あいさつさえ出来れば生きていける

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墨を磨っていると墨の香りがたち、その合間に木の香りがほのかに漂います。絶妙な香りのコンビネーション。呼吸を整え心を落ち着ける瞬間です。次回は6月10日(土)9時半~12時半まで開講します。体験も随時可能です。お電話、またはメールフォームよりお申込みください。

☆6月の予定・・・6月3日(土)、6月10日(土)、24日(土)

☆7、8月は決まり次第アップします。

☆9月以降は基本的に第1、2、3土曜日の予定です。

 

 木x仏像を見てきました

最終日夕方ぎりぎりにようやく大阪市立美術館に見に行くことができました。木は日本人にとって神聖で祈りの対象でもありました。その木の命をいただき、仏像に命を吹き込む、そんな歴史が並べられていました。素晴らしいのはすべての仏像が360度どの角度からも見れること。ガラスケースに入っていない、生身の仏像も見れるというのは貴重な経験でした。


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ある仏像の顔をみたとき、『あ、これ◎◎君に似ているな』とひらめきました。一度そう思うと、『これは誰に似ているだろう?』なんて思いながら見て回り、『〇〇にめっちゃ似てる~~~』というのを発見して一人喜んでおりました。

 

時代が経るにつれて彫りの技術も格段に上がってきていました。でも私は素朴な仏像の方が好みでした。7世紀飛鳥時代の仏像はクスノキの一木造で柔和な豊かな表情が素敵でした。


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円空という江戸時代の仏師の作品も展示されていました。円空の特徴は技巧的すぎない素朴な彫り方。明らかに異質なその存在感はとても魅力的でした。

 

 円空は生涯に12万体の仏像を彫ったと言われています。そして全国を歩きながら悩める民衆に仏像を彫り与えたそうですが、心の素直な人でなければ頼まれても作らなかったそうです。(円空微笑み物語より)

 

そういう円空の人柄にもとても惹かれました。右は円空の刻んだ仏像の絵ハガキ。いつかどなたかに送ることになるかな?

 

あいさつできればそれだけで

昨年まで少年野球にかかわってきていたのですが、「あいさつの徹底」をとにかく取り組んでいました。一緒にやっていたコーチも「あいさつのできないチームが強くなるわけがない」と口を酸っぱくなるくらい子供たちに話していました。気持ちのいい挨拶や返事の出来るチームは必ず愛され応援してもらえます。そんなチームでありたいと思っていました。

 

少し前ですが昨年の少年野球チームスタッフ4名で飲み会がありました。そこであるコーチが「大人になってもあいさつできればそれだけで生きていけますよ。」と話されたのが大変印象的でした。「少年野球をやって月数千円であいさつを学べたら本当に安いもんですよね~」と。 

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子どもたちには個性があって、大きな声であいさつする子もいれば、はにかんだようにあいさつする子、それぞれです。おとなしい子が元気な子のようなあいさつを無理にする必要はありません。『あなたのことを大切に思っていますよ』という気持ちのこもった自分にあった自分らしいあいさつが出来るとすばらしいと思います。

 

野球も書道も同じだと思うのですが、うまくなりゃいいってもんではありません。やはり「人間」が大事です。土台の土台、基礎の基礎がしっかりとした人間であることが何よりも大切です。それが「思いやりのこころ」であったり、「あいさつ」です。そのうえで野球がうまくなる、字が上手になるなどの「能力」が加味されてこそ、よりたのもしい人間になっていくのだと思います。

 

子どもたちに贈る一生のプレゼントとは

吉田松陰は激烈な行動力や生涯であったことからともすれば怖ろしい先生だったかと思いがちですが、実際はとても優しいおだやかな人だったそうです。幼い生徒が塾から帰るときには「また来なさいよ」と言って鞄をかけてあげて見送りされたそうです。上下の隔てなく人に接することができる松陰先生の人柄が分かるエピソードですが、あいさつもそこに上下の区別があってはならないと思います。

 

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先生や先輩、上司、社会的にエラいと言われる人・・・そんな人にだけあいさつしているようでは、人間としてつまらないものです。後輩であっても、年下であっても、分け隔てなくあいさつしたいものです。それでこそ土台のしっかりとした人間になれるのではないかと思います。

 

道教室でも「あいさつをする」ということを徹底していきます。子どもの頃から習慣となって、あいさつがしっかりできるたのもしい大人になっていってほしいなと心から願っています。

 

そのうえで字をていねいに練習して、字を書くことが好きになっていってほしいと思います。そうやって自己を作り上げていって、自分の豊かな時間を生きていってほしい、と。

 

本来わたしたし大人が子どもたちにプレゼントできることは、そんな単純なことくらいしかないのでしょうね。そしてそのコーチが言ったよう、社会って本当は「あいさつさえ出来れば生きていける」シンプルなものかもしれません。学歴や能力、お金のあるなしではなくて、ね。

 

釣月耕雲

 

 

 

 

 

「蝶々の唇」を探しに行こうぜ

隠しても隠しきれないものってあるようで。

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先日Facebookのプロフィール写真を、撮ってもらった素敵な写真に替えてみたところ、「エロさがにじみ出ている」というコメントを何人かからいただきました。書という芸術を志向している私にとってもう最高の誉め言葉ですよね。ありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。

 

宣伝の意味を込めてこのブログを書いているのに、「エロい」なんて話をすることはどう考えても不利になりますよね。でも、入会をご検討いただいているみなさま、ご安心ください。大丈夫です。

 

書におけるシンガーソングライター

私はいま人のことばを作品にしています。前回アップしたのは宮沢賢治の小説からでした。

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将来的には自分の言葉で書こうと思っています。書におけるシンガーソングライターみたいなもの。桜井和寿が作詞も作曲もして歌っちゃう、そういうのを書でもやりたい。詩・宮沢賢治、書・私っていうのは、作詞作曲・大江千里、歌・ミスチルってのと同じかと。(そんなケースはないんでしょうが)やっぱり作詞作曲・桜井和寿、歌・ミスチルのほうがしっくりくる、そういう感じです。

 

先日読んだ司馬遼太郎氏の「風塵抄」に、『エロさを抑えきれない奴は詩や短歌をやれ!!』って書いてありました。かなり乱暴に要約していますが、たぶんそういうニュアンスだったと思います。ちなみに司馬遼太郎はそのなかで下品のことを、「品が下る」と表現されていました。奥ゆかしくて素晴らしいなと思いました。熟語をばらして訓読みにすると素敵な表現になりますね。大和言葉っていいですよね。

 

少し話がそれました。その「風塵抄」を読んで、これは短歌をやらないといけないな。自分の中の品が下る部分を活かすには短歌しかない、そしてその自詠の短歌を書にすることがいつかできるかも。そう思って短歌の入門っぽい本を読んでみました。

 

 

「生きのびる」と「生きる」

 

「はじめての短歌」の中でこのようなたとえがありました。

 

中年の男が団地のすみでしゃがんでいます。その時警官が来て何をしているのかと問いました。「コンタクトレンズを探しているんです」という答。これって普通というかよくあるパターンの答で警官も安心するでしょう。しかし「蝶々の唇を探しています」という答をしたなら、警官は多分・・・・、ですよね。

 

社会の価値観に従って会社に行き、働いて、おカネを得て、生活をする、これは自分の命が尽きるまで「生きのびる」ために必要なことです。事実私も会社にいっておカネを得て、いまこうやって「生きのび」ているわけです。団地のすみでコンタクトレンズを探しているというのは社会的にまっとうなこと。「生きのびる」というのは、そのように社会的な価値観に従って、社会生活を送るのにまっとうなことをして、命を長らえているということです。

 

一方団地のすみで「蝶々の唇」を探している中年の男、そんなことして「生きのびる」ことはできません。というか変質者扱いです。もう社会の常識からかけ離れたところにいるわけです。でも真剣に「蝶々の唇」を探し求めている男は、確実にいまここに「生き」ているんです。社会から離れたその場所で。

  

でもぼくらは、「生きのびる」ために生まれてきたわけじゃない。では何をするために生まれてきたのか。それはですね、「生きる」ためと、ひとまず言っておきます。(穂村弘「はじめての短歌」より)

 

蝶々の唇を探しに行く

書道にも同じことが言えるのかと思います。書道なんて「生きのびる」ために全く必要ありません。社会的にみてみると、ただ字が上手だとちょっと履歴書で好印象になるかな、くらいのものです。最近履歴書は手書きじゃなくて打ち込みになっているようですが。

 

でも「生きのびる」その時間の中で、墨を磨って筆を持って書いているその時間は確実に「生きる」時間です。自分なりの美しさを求めて書くのは、社会的には何の価値も生み出さないその時間。人によってはムダかもしれないその時間が、実は「生きる」ということなのかもしれない。

 

私は「生きのびる」ために書道教室を始めたわけではなく、「生きる」ために、「生きたい」ために始めたわけです。 「生きる」書道でありたい、そう改めて思っています。コンタクトレンズを探す書道教室ではなく、蝶々の唇を探しに行く書道教室でありたい。

(・・・これでまた入会が遠ざかるか!?)

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道教室で筆をもって、白い紙のなかの「蝶々の唇」を探しにいきましょう。「生きのびる」ために費やしている自分をぶっ壊して、紙の中で一緒にあばれてみましょう。ムダなことをやりましょう。自分の中からにじみ出る品下りを書にたくしましょう!

 

って品下りは私だけもしれませんが。

 

「生きる」短歌をつくってみた 

でもお稽古は最初きれいな字(社会的な価値基準)から始めます。それは大切な最初の一歩ですからね。ゆっくり徐々にあばれていきましょう。

 

さて、たぶんみなさんが気になっているであろう、私の自詠の歌を披露させていただきます。

 

カラムーチョ・極みだし塩・のり塩を 制覇できずに やどかりをみる

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昔は軽く3袋くらい(約180グラム)一晩で食べれたのになあ・・・というなげきです。写っていないカラムーチョは未開封で終わりました。厳密にいうと、極みだし塩を食べて、のり塩の途中でギブアップしたということです。約100グラムでギブ。五七調にするためにカラムーチョを先頭に配置しています。

 

この駄作では書に出来ないな!

ご批評お待ちしております。

 

墨を磨って時間がたったあとの硯のテカリ具合が生々しい

 

 

しいんとして居りましても、ココロオドル

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本当に気持ちの良い土曜日午前。はじまりの杜では木がそよぐ音、ウグイスの鳴く声、墨を磨る音、筆が紙に触れる音、いろんな音が聞こえてきて、「生きる」ことを実感させてくれました。自然とともに書道に触れるひととき。次回は6月3日(土)9時半から12時半、体験もお待ちしております。

 

意外だからこそ、ココロオドル

今年の2月ラオスに行きました。行きはジンエアーというLCCを利用しました。関空からインチョンでトランジットし、ラオスの首都ビエンチャンへと向かいました。

 

インチョンからビエンチャンへ向かう機内で、ポストカードが配られました。機内で書いたものを郵送しますというサービス。「日本へ送りたいけどいけます?」ってクルーに聞いたら「OK、送るよ!住所書いてくれたら。」といわれまして。『そりゃ、住所は書くけどさ、わざわざジンエアーが国際郵便代負担して日本までエアメール送るかな??』と半信半疑で書いて、クルーに渡しました。

 

ラオスから帰国しても一向に届かず、『そりゃ来るわけないわな…』と思っていて、そしてすでに存在すら忘れていた5月26日。

 

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届いた! 

 

ほぼ4か月です、4か月。ちなみに消印は5月12日。KOREA POSTとあるので、韓国から投函された模様。よくまあ迷子にならずうちに来たもので・・・。

 

4か月もの間どこをさまよっていたのか、そちらのほうが気になります。ビエンチャンでさまよっていたのでしょうか。いずれにせよ、ジンエアーのサービス担当の方、ありがとうございました。e-mailでは味わえない、手書きのハガキだからこその味わい。

 

メールなら一瞬で届くのに、エアメールだと4か月。(まあ普通のエアメールでも1ヶ月はかからないはず)4か月間も旅をしてきた1枚のハガキのおかげでココロオドル体験をさせてもらいました。

 

当たり前って面白くない。書道教室も当たり前をぶっ壊してココロオドル機会でありたいと思うのです。

 

鮮度の高い墨を運びたい

道教室の前日には仕込みをします。って料理みたいですが。墨液の仕込み。教室では墨を磨っていただき、なくなったら私が用意してきた墨液をご自身でもう一度磨っていただき、その墨液で書いて頂いています。仕込みでは墨磨り機で80%くらいの濃さで磨りあげています。あとの20%くらいを教室でご自身で磨っていただく。そういうことでお稽古時間を効率よくしようとしています。

 

暑くなってきたこの季節、墨液は時間が経てば腐ります。前日夜に磨って、翌日午前に使うのでその程度では腐ることはないのですが、なるべく鮮度高く家から教室まで運びたいわけです。せっかく教室に来て書いて頂くのであれば、いい状態の墨液で書いていただきたい。

 

その墨液の鮮度を保つには、抗菌効果のある「銅」が最も良いとされています。墨をいれておく容器は陶器が一般的なのですが、その銅で作った墨池があるのです。

 

 

よし、これに入れて運ぼうと思ったのですが問題がひとつありまして。

 

それは急な坂道。

 

はじまりの杜に車で行くには、めちゃめちゃ急な坂を上らないといけないのです。「この坂を車で運転できないからちょっと通えない・・・」と言われたこともあるくらいの坂道。(写真がないのでご想像にお任せしますが、なんせすごい坂)

 

坂道を車で登るときに、ちゃっぽんちゃっぽん墨液がこの銅の中で揺れるわけです。当然予想される最悪の結果は・・・墨液がもれてIKEAのビニール袋の中を真っ黒にして道具を汚してしまう!

 

それでも鮮度の高い墨液を運びたい

ここで迷うわけです。密閉できる容器に入れて、ジップロックで厳重に漏れないようにして運べば絶対に漏れない。でも鮮度は落ちる。一方銅の墨池に入れて運べば車で揺られて墨をこぼすリスクはあるけど鮮度は高い。

 

悩んだ結果・・・妥協するな!自分の理想を貫け!書道教室はすべてはお客様のためになんだ!という(ちょっと大げさな)声に従い、銅の墨池にいれて運ぶことにしました。

 

『坂道は速度を変えず、一気にかけあがろう』

それなら揺れが少ないはず・・・と思い、鼓滝の坂道に立ち向かいました。

 

速度を適度に保ち登り始めてすぐに・・・

 

うわっ、対向車が来たがや!!!

 

坂道細いんです。すれ違いできないかもしれないんです。これは坂道登って立ち往生が一番墨液によくない。いや墨液によくないのではなく、墨をこぼしてしまう。

 

これは一度よけて再度立ち向かうべき、と判断して、一旦下がってすれ違い出来る場所で対向車が下りてくるのを待ちました。

 

仕切り直し。

 

『次は対向車来ないでくれ・・・』

 

そう祈りながら、アクセルを一定に一気に登っていきました。時間にして10秒もないんでしょうけど、めっちゃ長く感じた瞬間。どきどき。

 

よかった!対向車なく坂道を登れました。しかしこれで安心はできません。教室は2階。階段を墨液の入った重い荷物をもってあがらないと。この瞬間も結構オソロシイ。そろりそろりと1段ごとに両足をそろえて上がります。

 

鮮度の高い墨液を運んだ結末とは

汗がにじみながら2階ギャラリーに着きました。緊張の瞬間です。これで墨液がこぼれていたら・・・教室に来られる方にも影響が出るかもしれない。紙を汚していたら。テキストを汚していたら。大変まずい。

 

さて結果は。 

 
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無事でした。

 

一滴もこぼれていませんでした。よかった。墨は鮮度を保ったまま、無事はじまりの杜へと運ばれたのです。これで鮮度の高い墨液でみなさんに書いていただける。よかった。すべてはお客様のために!鮮度の高い墨で書いてもらおう~。

 

なのに、なのに。

 

今日は誰も教室に来なかった・・・(笑)

 

墨をこぼして汚すリスクを背負いながら、坂道を行き交う恐怖を味わいながら、そろりそろりと抱えて2階まで登った緊張感、すべてはお客様のために、のつもりが・・・

 

それでも気分を変えて鮮度の高い墨液で書いた作品。

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結局、すべては自分のためにやん!というツッコミは大歓迎です。

 

「ひなげしはみなしいんとして居りました ひのきはまただまって 夕方のそらを仰ぎました」

 

『教室はみなしいんとして居りました』やな、ってちょっと一人笑っちゃいましたが。

 

宮沢賢治 ひのきとひなげし 

 

 

誰のための書道なのか?

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鳥のさえずりが聞こえます。ウグイスも啼いていました。窓からは心地よい風が吹き込んできています。木の香りを感じながら墨を磨り、部屋には墨の香りが立ちこめます。新緑の季節、とても気持ちのいい教室環境ですよ。引き続き体験お待ちしています。  

 

『木を愛する書家』

プロフィールにも書きましたが、普段は木材関連の仕事をしています。同じ業界の方から「こんな字を書いてほしい」などという依頼をいただきます。総会の次第、看板、色紙などなど・・・字を書くということでお役に立てるというのはやはりうれしいものです。具体的に価格表などはブログにあげていませんが、もしそういうご依頼もありましたら、遠慮なくお問い合わせいただければと思います。

 

先日木材業界の仲間に「木を愛する書道家」と言われました。書家の定義はさておき、なるほど、それは嬉しい表現だなと思いました。世の中に木を愛する、木を商いにしている人はたくさんいます。一方自称を含め書家も。でも「木を愛する書家」ってなかなかオリジナリティがあっていいなぁと。

 

誰のための書道なのか?

教室の合間にそんなご依頼の一つをかいてみました。教室で自分の書をかくのははじめてだったのですが、やはり集中できますね。自宅マンションで書くのとは全然気分が違います。どんどん集中して気分がのってきます。やはり木の教室は素晴らしい。

 

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依頼された書は読みやすいことが大前提です。書いてほしい言葉にこそ依頼された方の気持ちがあるので、言葉ありき。アートっぽいのは封印してことばのイメージに合った書体で表現します。

 

教室のお手本もアートっぽいのではありません(あたりまえですが)。いろんな動機がありますが、みな『字がきれいになりたい』と思って習いに来られることでしょう。ここではひたすら個性を消して、一般的なきれいな字を書くようにしています。

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教室に来ていただけるみなさんには、字を書くことを好きになっていただきたいし、だんだんと字が上手になってきていることを実感してもらいたいし、もっともっと深い書の世界をのぞいてみてほしいです。そして書を通じて得られる「何か」を大事にしていただきたいと思います。

 

そのためにも私は書道教室をやっている「木を愛する書家」の私を見つめるのではなく、目の前にいる方を見つめていないといけません。目の前の一人一人を丁寧に見ていることが大切だと思うのです。

 

『すべてはお客様のために』

依頼されたモノを書くことも、教室のお手本も、すべて相手目線に立てるかどうか。すべてはお客様のために・・・・

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「すべてはお客様のために、これっていろんな意味が込められているんだよね~」と、一緒にたこ焼きを食べながら、それを書いてほしいと依頼された先輩は私に話してくれました。

 

ただ単に「お客様は神様です!」ということではないのだと思います。決してお客様に媚びるわけではなく、機嫌をとって・・・ということではありません。本当にお客様にとっていいものとは何かを自分に問いかけながら、相手の気持ちや立場に立って考えて行動しよう。ただ、自分自身の芯となる思いだけはぶれないように。ということを言いたかったのだと話を聞いていて解釈しました。

 

自己にとらわれすぎないように

以前のブログに司馬遼太郎の『21世紀に生きる君たちへ』を引用しました。それを読んでくれた先輩が、「司馬遼太郎の『風塵抄』ってエッセイもいいですよ。」と教えてくれました。

 

kusushodo.hatenablog.com

 

 

早速読み始めたのですが、その中に「四十の関所」というエッセイがありました。

 

四十代で鬼相を呈しはじめる人もある。むやみに権力好きになったり、また自己の利益にとらわれて他が見えなくなっている人がいる。あるいは犬が咆えるように自分のささいな健康上の不調を会う人ごとに訴えて、そのため自己以外の他者が見えなくなっている人もいる。

 

つい『自分は何者かである!』と力んで、それをリアルでもネットでも虚勢を張ってしまいがちです。冒頭に書いた『木を愛する書家』と言われた自分に浮かれて、自己にとらわれすぎてはいけない。大切なのは貴重な時間を割いて教室に来てくれた目の前の方とその時間。それを忘れないようにしなければと読んでいて思い直しました。

 

『すべてはお客様のために』という言葉を依頼されて書いたのにも、それを気づかせてくれる偶然があったのかなと思います。やっぱり大切なのは、他者への思いやり、ですね。

 

木の教室ってやっぱり落ち着きます