やさい日記

複線的人生の創造

川越宗一【熱源】を読んだ 自分の熱源はなんだろう!?

川越宗一さんの【熱源】を読みました。産経新聞樺太の特集記事があるんですが、そこで紹介されていて興味を持ったのが読んだきっかけです。

 

時間も場所もとにかく壮大。最初はなかなかそのデカいスケールについていけなかったのですが、中盤くらいからどんどんひきこまれて一気に読み切っていました。

 

時代的には明治初期から終戦まで約70年間。場所は樺太、北海道、東京、ポーランド、ロシア、パリもあったかな。それが交差しているのでとにかく壮大という言葉でしか表現できません。主人公はアイヌ・ヤヨマネクフと国家がなくなってしまったポーランド人ピウスツキ。この二人を軸にどんどん展開していきます。

 

日本史上の実在の人物もたくさん出てきます。私の中で一番味があるなとおもったのが大隈重信大隈重信は気さくで庶民にも人気のあったようですが、その雰囲気がにじみでていました。国家を導くための信念をもちつつも、人というものを愛し、色んな視点から物事を見ているように描かれていたように感じました。その大隈重信とヤヨマネクフが交わした短い会話のシーンが私は好きです。

 

人が生きる原動力を【熱源】という表現をしたのだと思うのです。色んな困難や制限、社会や国家、政治に影響されざるをえない人間が、そのなかで熱源をエンジンにして、とにかく生きていく。ヤヨマネクフやピウスツキだけではなく、出てくる全員が時代や国家や世界に翻弄されながら自分の意志で決断して生きていっています。それは美しい。

 

では私はどんな熱源を持っているのか?その熱源を見つけているのか。ただ生まれたから生きる、その単純な作業を自分の意志で行っているのか?制限や束縛はあって当然。そのなかで何かを選択して自ら生きているのか?そんなことを思い返していました。

 

私は毎日やさい日記をとにかく吐き出すように書きなぐっています。中に入れたものを吐き出さないと新しく入ってこないというのもあるのですが、究極は【私はどこから来て、どこへ向かうのか】という問いを求め続けるために書いています。これはある意味【熱源】なのかもしれません。でもそれが何になっていくのかは、まったく想像もつきません。ただ吐き出しています。

 

熱源を見つけたいですね。気づきたい。きっとあるはずですよね。みんな。私もあなたも。かっこつけずさらけだして、おおわれている皮を徐々に剥きとって、冷たくて熱いでも熱くて冷たい熱源に早く触れてみたいと思っています。