くすのき書道教室ー兵庫県川西市ー

墨の香りx木の香り/ひとりひとりを丁寧に、少人数の書道教室

シークレットシューズと自然体

6月10日(土)書道教室でした。会場のはじまりの杜ではあじさいが咲いていました。あじさいって、紫陽花と漢字で書くと妖気が出ますね。ぞわっとくる感じ。色の変化がそうおもわせるのかもしれません。

 

次回は6月24日(土)です。来週はお休みです、お間違えの無いようお願いします。

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譲れない一線

最近よくブログに書いている司馬遼太郎氏の「風塵抄」。その中に腕のいい職人さんが背が低いことで結婚できないのは嫌だと、結婚に少しでも有利な職業についてしまって、その技を発揮する機会がなくなってしまって残念だ・・・という話がありました。

 

これを読んだ時、ああ、分かるなと思いました。街をあるいていてかなり背の高い男性や女性をみるたびに、『私に分けてくれてもこの人は困らないから、ちょっとちょうだいよ』って思います。

 

私は自称身長16☆センチで、人に尋ねられても☆部分は敢えてごにょごにょ言うようにしているのですが、「15〇センチやろ?」と聞かれると断固として否定をしています。その微差になにがあるのか多分意味が分からない方も多いと思いますが、そういう気分なのです。

 

風塵抄に書かれていたのは平成はじめの話なので、男性に求める条件としての3K(高学歴、高身長、高収入)が今よりももっと幅を利かせていた時代ですね。

 

かなりどうでもいい話になりそうですが・・・このまま続けます。

 

シークレットシューズを履いてみた

シークレットシューズって履いたことあります?

 

あの背が高くなる靴です。かれこれ5年くらい前のことなんですけど、仲良くしている方から「これほんまにええよ!」といただきました。ま、その方は僕よりかなり背が高いので、シークレットシューズを履く必要があるのか・・・は疑問でしたが。

 

初めて履いてみた時ちょっとした感動がありました。世界がちがう!ぱあっとなんか開けたような気がしました。プラス7センチの感動。その時しみじみ思いました。『ああ、身長が違ったら人生違っていただろうな・・・』と。

 

「これは社会を変える画期的な商品だ!」と熱く語り合った結果、「悩める男性諸君のために、おしゃれなシークレットシューズをつくって販売しようではないか!」とその日二人でがっちりと握手をしたのです。

 

あれから5年・・・でもいまだにシークレットシューズを作る企画は立ち上がっておりません!

 

書は自然体がいい

『人間は自然がよいのだな』と最近よく思います。かっこよくみせるとか、とりつくろうとか、背伸びをしすぎることが年をとるにつれて疲れてきただけなんでしょうけど、好きなこと以外には執着しすぎないのがよいなと思います。

 

自然体で生きている人物に触れることがあります。そしてそのナチュラルさが自分の価値観と同質のものであれば、ああ、こんな人になりたいな、と強烈に思うのです。

 

シークレットシューズを履くことも、コンプレックスの裏返しであって、まわりはそんなに自分が思うほど気にしていないはずなんですね。多少の優越感や気持ちよさはあるんですが、やっぱり不自然・・・。

 

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 結局書でもそのようなのですが、技巧に走ったり必要以上によくみせようとすると、書の品が下るのでしょう。つまるところ、すべては「人間」。「うまい字」と「いい字」は完全に別個のもので、人間の出来ていないが練習しまくって書けた「うまい字」なんて何の意味もないのかと思います。

 

「いい字」を目指して書の練習をしたいものです。自分らしく自然体で生きて、それでも人間性を高めようとする毎日こそが「いい字」につながるんだと意識していきたいですね。

 

今日の短歌

ということで、「いい字」を書くためには不自然なシークレットシューズはいらないなってことに思いいたり、5年間停滞したシークレットシューズの企画販売も断念します。そしてこれからも人に身長を問われたならば、私は16☆センチとごにょごにょ答えることになりそうです。

 

そんなことを思って作った短歌はこちら。 

 

 

10センチあと15センチ高ければ きみのつむじに空手チョップ

 

 

いや、やっぱり身長はほしいわ・・・・。

 

 

雲収山嶽青

雲が散って山が青くぱっとひらけるように、心の迷いも晴れ渡る、という意味の禅語です。