くすのき書道教室ー兵庫県川西市ー

墨の香りx木の香り/ひとりひとりを丁寧に、少人数の書道教室

「蝶々の唇」を探しに行こうぜ

隠しても隠しきれないものってあるようで。

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先日Facebookのプロフィール写真を、撮ってもらった素敵な写真に替えてみたところ、「エロさがにじみ出ている」というコメントを何人かからいただきました。書という芸術を志向している私にとってもう最高の誉め言葉ですよね。ありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。

 

宣伝の意味を込めてこのブログを書いているのに、「エロい」なんて話をすることはどう考えても不利になりますよね。でも、入会をご検討いただいているみなさま、ご安心ください。大丈夫です。

 

書におけるシンガーソングライター

私はいま人のことばを作品にしています。前回アップしたのは宮沢賢治の小説からでした。

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将来的には自分の言葉で書こうと思っています。書におけるシンガーソングライターみたいなもの。桜井和寿が作詞も作曲もして歌っちゃう、そういうのを書でもやりたい。詩・宮沢賢治、書・私っていうのは、作詞作曲・大江千里、歌・ミスチルってのと同じかと。(そんなケースはないんでしょうが)やっぱり作詞作曲・桜井和寿、歌・ミスチルのほうがしっくりくる、そういう感じです。

 

先日読んだ司馬遼太郎氏の「風塵抄」に、『エロさを抑えきれない奴は詩や短歌をやれ!!』って書いてありました。かなり乱暴に要約していますが、たぶんそういうニュアンスだったと思います。ちなみに司馬遼太郎はそのなかで下品のことを、「品が下る」と表現されていました。奥ゆかしくて素晴らしいなと思いました。熟語をばらして訓読みにすると素敵な表現になりますね。大和言葉っていいですよね。

 

少し話がそれました。その「風塵抄」を読んで、これは短歌をやらないといけないな。自分の中の品が下る部分を活かすには短歌しかない、そしてその自詠の短歌を書にすることがいつかできるかも。そう思って短歌の入門っぽい本を読んでみました。

 

 

「生きのびる」と「生きる」

 

「はじめての短歌」の中でこのようなたとえがありました。

 

中年の男が団地のすみでしゃがんでいます。その時警官が来て何をしているのかと問いました。「コンタクトレンズを探しているんです」という答。これって普通というかよくあるパターンの答で警官も安心するでしょう。しかし「蝶々の唇を探しています」という答をしたなら、警官は多分・・・・、ですよね。

 

社会の価値観に従って会社に行き、働いて、おカネを得て、生活をする、これは自分の命が尽きるまで「生きのびる」ために必要なことです。事実私も会社にいっておカネを得て、いまこうやって「生きのび」ているわけです。団地のすみでコンタクトレンズを探しているというのは社会的にまっとうなこと。「生きのびる」というのは、そのように社会的な価値観に従って、社会生活を送るのにまっとうなことをして、命を長らえているということです。

 

一方団地のすみで「蝶々の唇」を探している中年の男、そんなことして「生きのびる」ことはできません。というか変質者扱いです。もう社会の常識からかけ離れたところにいるわけです。でも真剣に「蝶々の唇」を探し求めている男は、確実にいまここに「生き」ているんです。社会から離れたその場所で。

  

でもぼくらは、「生きのびる」ために生まれてきたわけじゃない。では何をするために生まれてきたのか。それはですね、「生きる」ためと、ひとまず言っておきます。(穂村弘「はじめての短歌」より)

 

蝶々の唇を探しに行く

書道にも同じことが言えるのかと思います。書道なんて「生きのびる」ために全く必要ありません。社会的にみてみると、ただ字が上手だとちょっと履歴書で好印象になるかな、くらいのものです。最近履歴書は手書きじゃなくて打ち込みになっているようですが。

 

でも「生きのびる」その時間の中で、墨を磨って筆を持って書いているその時間は確実に「生きる」時間です。自分なりの美しさを求めて書くのは、社会的には何の価値も生み出さないその時間。人によってはムダかもしれないその時間が、実は「生きる」ということなのかもしれない。

 

私は「生きのびる」ために書道教室を始めたわけではなく、「生きる」ために、「生きたい」ために始めたわけです。 「生きる」書道でありたい、そう改めて思っています。コンタクトレンズを探す書道教室ではなく、蝶々の唇を探しに行く書道教室でありたい。

(・・・これでまた入会が遠ざかるか!?)

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道教室で筆をもって、白い紙のなかの「蝶々の唇」を探しにいきましょう。「生きのびる」ために費やしている自分をぶっ壊して、紙の中で一緒にあばれてみましょう。ムダなことをやりましょう。自分の中からにじみ出る品下りを書にたくしましょう!

 

って品下りは私だけもしれませんが。

 

「生きる」短歌をつくってみた 

でもお稽古は最初きれいな字(社会的な価値基準)から始めます。それは大切な最初の一歩ですからね。ゆっくり徐々にあばれていきましょう。

 

さて、たぶんみなさんが気になっているであろう、私の自詠の歌を披露させていただきます。

 

カラムーチョ・極みだし塩・のり塩を 制覇できずに やどかりをみる

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昔は軽く3袋くらい(約180グラム)一晩で食べれたのになあ・・・というなげきです。写っていないカラムーチョは未開封で終わりました。厳密にいうと、極みだし塩を食べて、のり塩の途中でギブアップしたということです。約100グラムでギブ。五七調にするためにカラムーチョを先頭に配置しています。

 

この駄作では書に出来ないな!

ご批評お待ちしております。

 

墨を磨って時間がたったあとの硯のテカリ具合が生々しい